宇宙戦艦ヤマトのおもひで

氷川竜介氏は本日9月28日を最後に池袋コミュニティカレッジでの講義を休止する*1。休みは最低半年と書かれており、実際には無期限でもう再開される事は無いかもしれず、その場合本日の講義が最後になる。今生の別れになるかもしれないと思い本当はもっと色々用意したいのだが至らず、急いで「宇宙戦艦ヤマト」の最初のテレビシリーズに関しての私自身の思い出を記す。

学年が昭和45年度の筆者は1974年4Q~1975年1Qの日曜19時半、ご多分に漏れずアルプスの少女ハイジフランダースの犬を観ていた*2。ハイジについては中盤のフランクフルト編や終盤のクララが立った等本放送で観てたと記憶してる一方、フランダースの犬は何か苛められてて終盤死んで天国に行った以上の記憶しか無い。でもヤマトや猿の軍団を本放送で観たような記憶は全く無い。*3

遊星爆弾で赤茶けた地球を見たのは夕方の再放送枠です*4。そして昔、太平洋戦争で大和という世界一の戦艦が出撃しアメリカの飛行機に成す術もなく沈められたという史実は本作で初めて知りました*5

取り敢えず此処迄

*1:池袋コミュニティカレッジ 7月以後の予定: 氷川竜介ブログ

*2:因みにこの時間帯に「猿の軍団」なる特撮も放送されてたのを知ったのは、昭和末年に五味洋子さんから贖った『富沢雅彦追悼集』に採録された記述からです

*3:因みに本放送でグレートマジンガーを観た記憶は全く無い一方でグレンダイザーを観た事は良く覚えてる。フジ系の19時丁度枠はおじゃまんが山田くんさすがの猿飛でまた熱心に観るようになったがGu-Guガンモで離れた

*4:ウィキペディア日本語版を信ずるなら「第三の選択」1978年フジ系での放送は深夜で、私が見た可能性は多分無い。私が観た「第三の選択」は日テレ系矢追純一の奴で1982年放送、ノストラダムスの大予言を知るのは更にその後である

*5:筆者の祖父は当時呉の海兵団工作隊に勤め、恩給を貰わなかった代りに五体満足で復員してきた。太平洋戦争当時の話に興味を持つ切掛になったのもやはりこのヤマト2話のエピソードである