「ネット白熱!? ~20歳が観るべきアニメ38タイトル」への質疑

まつもとあつし様 各位 ブクマした藤津亮太氏の記事に疑義が在るので記します。
[B!] ネット白熱!? ~20歳が観るべきアニメ38タイトル
[B! 歴史] 20歳が観るべきアニメ38タイトルを選んでみた(藤津亮太) - QJWeb クイック・ジャパン ウェブ
先ず、挙げられた「20歳のアニメファンが観るべき38作品(藤津亮太選)」では劇場映画とTVシリーズを一緒くたに紹介している。
一回三十分の、巨人の星全182話、タイガーマスク全125話、最後にHUGっと!プリキュア全49話、之を総て観ろというのか。
最低限、作品の長さから「短編映画」「長編映画」「シリーズ物(定期発表映画)」の3つに分類しろ。何故なら、話数単位で、観るべき度合いを、シリーズ物については示さなければならない、からです。

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宇宙戦艦ヤマトのおもひで

氷川竜介氏は本日9月28日を最後に池袋コミュニティカレッジでの講義を休止する*1。休みは最低半年と書かれており、実際には無期限でもう再開される事は無いかもしれず、その場合本日の講義が最後になる。今生の別れになるかもしれないと思い本当はもっと色々用意したいのだが至らず、急いで「宇宙戦艦ヤマト」の最初のテレビシリーズに関しての私自身の思い出を記す。

学年が昭和45年度の筆者は1974年4Q~1975年1Qの日曜19時半、ご多分に漏れずアルプスの少女ハイジフランダースの犬を観ていた*2。ハイジについては中盤のフランクフルト編や終盤のクララが立った等本放送で観てたと記憶してる一方、フランダースの犬は何か苛められてて終盤死んで天国に行った以上の記憶しか無い。でもヤマトや猿の軍団を本放送で観たような記憶は全く無い。*3

遊星爆弾で赤茶けた地球を見たのは夕方の再放送枠です*4。そして昔、太平洋戦争で大和という世界一の戦艦が出撃しアメリカの飛行機に成す術もなく沈められたという史実は本作で初めて知りました*5

取り敢えず此処迄

*1:池袋コミュニティカレッジ 7月以後の予定: 氷川竜介ブログ

*2:因みにこの時間帯に「猿の軍団」なる特撮も放送されてたのを知ったのは、昭和末年に五味洋子さんから贖った『富沢雅彦追悼集』に採録された記述からです

*3:因みに本放送でグレートマジンガーを観た記憶は全く無い一方でグレンダイザーを観た事は良く覚えてる。フジ系の19時丁度枠はおじゃまんが山田くんさすがの猿飛でまた熱心に観るようになったがGu-Guガンモで離れた

*4:ウィキペディア日本語版を信ずるなら「第三の選択」1978年フジ系での放送は深夜で、私が見た可能性は多分無い。私が観た「第三の選択」は日テレ系矢追純一の奴で1982年放送、ノストラダムスの大予言を知るのは更にその後である

*5:筆者の祖父は当時呉の海兵団工作隊に勤め、恩給を貰わなかった代りに五体満足で復員してきた。太平洋戦争当時の話に興味を持つ切掛になったのもやはりこのヤマト2話のエピソードである

コミケットサービスは古同人誌在庫の即売会を行うべし

去る2017年大晦日コミケットサービスが閉店した*1 *2コミックマーケット準備会の「直営店」として昭和の昔から古同人誌を商うが故に、扱っている古同人誌の年代が20世紀・2000年代の比較的古いもの中心になったので他店に較べ競争力を失ったからかもしれない。しかし、その在庫の古さは同時に他所に較べ希少な同人誌を扱っているということであり、そのそれぞれにとって希少な同人誌を顧客が探しやすいよう、長年に渉り古同人誌の在庫を同店はサークル・作家・ジャンル別に営々と分類・整理し続けてきた。故に昔の同人誌を求める者にとっては替えが利かず、そして評論・研究が広まった現在に於いて昔の同人誌を求める者は実は多い筈。

準備会の関連企業であるが故にこの古い在庫を破棄しないだろうとの期待がある。私もそうあれかしと強く望む。しかしこの時勢、貴重な文化資産が無下に破棄、或は外の業者への破棄されるが儘の売却という悪夢が起こらないとは限らない。破棄を避けるには、閉店したコミケットサービスの在庫が不良資産では無く利益を挙げ得るものであることを示す必要があり、店舗を常設で維持出来ない期間でも即売会ならば可能ではないかと愚考するのです。

コミケットサービスの閉店は年末・冬コミと重なり、赴けず涙を呑んだ向きは多いです。閉店に立ち会えなかったが在庫の即売会には参加の都合が付けられ、参加したい人は少なくない筈です。コミケから外れた時期にコミケットサービスの在庫の即売会を開いてくださる事を希望します。

「アニメ100年」という詐欺

*1

*2「いろいろ物議を醸しました」が
「システムの不備よりも、みんなの遊びに水をかけようとしている側に問題があるとまず考えるほうが正当」
「「お祭りで楽しんでいるやつに冷水をあびせるほうが面白い」という悪意をこそ、慎重に拒んでいかないといけない」

NHK BSプレミアムで5月3日に放送された『みんなで選ぶベストアニメ100』のランキング*3についての藤津亮太のコメントである。1980年代〜90年代に雑草社の「ぱふ*4 *5 *6」のベストテンが、「雑草社のぱふのノリ」を共有しないマンガ読みに対してそのベストテンに挙がるマンガ*7全般を「つまらない」「終わった」「死んだ」ものだと行為遂行的に感じさせていた、その苦々しさを覚えておられる方は多かろう。だから雑草社以上に安易なネットによる一般投票*8によるこのランキングにも全く好感は持てないのだが、一方で非難しても意味が無いのは判るので、藤津のこのランキングに異議の感情を表明する振る舞いを全否定する高圧的な言辞に嫌悪を覚え疑念を持ちつつも、表立って反論しないことで結果として同意した。

「日本アニメ100年の歴史の中で、もっとも重要だと思われる10作品をお挙げください」
30人の批評家に、編集部はこう依頼した。*9 *10
芸術新潮2017年9月号【特集】〈永久保存版〉30人の批評家が投票!日本アニメ ベスト10』

日本アニメに百年の歴史があるというのは嘘である。「アニメ」がアニメーションの略語ではなく独自の映像文化として世間の表面に現れたのが丁度四十年前の劇場版宇宙戦艦ヤマト公開の際の宣伝からだという以前に、近年土居伸彰が精力的に述べている様に*11映像ジャンルとしての「アニメーション」は1950年代のフランスで『カイエ・デュ・シネマ』誌周辺の*12批評家アンドレマルタンが「アニメーション映画cinéma d’animation運動」を初めたのが起源で、それ以前それらの映画は「漫画映画animated cartoon」「人形映画puppet film」」「前衛映画 avant-garde film」等と呼ばれていたから。「日本アニメ100年」の根拠とされる、丁度百年前の大正六年に作られたとされる「芋川椋三玄関番の巻」「塙凹内名刀之巻」等は云うまでも無く政岡憲三瀬尾光世の漫画映画も、作られた時期にはアニメーションでは無く、一方で大藤信郎は晩年の作品がアニメーションとして見出された、それが事実としてのアニメーション映画の歴史で、「前衛映画」とも呼ばれていたことから判るように芸術映画の運動である「アニメーション映画」というジャンル区分を商業作品とりわけ週単位で作られ公開される作品群*13に適用させるのは自明では無い*14 *15。別稿に譲るが、実際に「テレビまんが*16」と呼ばれていたように商業作品にはアニメーション映画運動以前から在った「*17実写」「*18人形映画」「*19漫画映画」という区分が適用されるべきだったし、今からでもそうすべきだと考える*20。然るにこの週刊新潮のアンケートは、「100年の歴史の中で」と云い前述の大正期の作品を最初の作品としながら其等を「漫画映画」とも「(アニメイテッド・)カートゥーン」とも「アニメーション」とも呼称せず、「アニメ」と*21態々呼称した上で、「もっとも重要だと思われる」作品を、つまり作品としての出来や況て投票者個人の嗜好等では無く「100年の歴史」の中で「客観的に」重要な役割を果たした作品を、順番に10作選べ挙げろと要求している。

投票者の中で小野耕世と並び最年長級の、おかだえみこ森卓也、渡辺泰の三氏は、ディズニー作品に傾倒してガリ版刷りのファンジン『Fan&Fancy Free』を発行し*22「映画評論」誌の投書欄から編集長佐藤忠男に見出された「日本でアニメーションを語る言葉」のパイオニアで、彼等の「アニメーション」についての識見が尊重されるべき事は云うまでも在りません。しかし同時に、「アニメーションの中の極狭い1ジャンル」とされた*23日本のテレビアニメが表現とその表現される内容で独自の発展をし思春期以上のファン層を作り出して以降、その若いアニメファン達から「あの人達は僕等と違う。アニメーションはよく判ってもアニメはよく判らないのでは」と云われ続けた方々でも在ります。彼等長老と、原口正宏や氷川竜介と云った、日本の商業アニメーション全体について十二分アニメーションについても十分な識見を持つ人達、土居伸彰の様な若くアート・アニメーションに必要な識見を持つ人達、そういった人達が一方でいる一方で、本来の専門分野については兎も角も、アニメは好きな作品を観ただけ、昔のアニメーションについては勉強すらしていない、そんな「日本アニメ100年の歴史の中で」「もっとも重要だと思われる」作品を挙げる識見など端から持ち得ない方々が、控えめに云っても過半数を占めている。こんな玉石混淆いや玉同士でも潰し合って有意な結果は出ないだろう30人が、「アニメ」についてなのか「アニメーション」についてなのか「漫画映画」についてなのか意図して定めずに*241人10票別々の作品でと投票し票を集計してベストテンを決め、その順位で大々的に紙面を飾る。要は、この特集で芸術新潮は、アニメを、恐らくはアニメーションも、本当はバカにしてるのだが、でも上澄みだけ掬い取るぞ*25と、宣言している。こんな、前述のNHKのネット投票と比べても肯定的な価値を持たない、糞アンケートを「芸術新潮だから」「著名な人士が並んでるから」NHKのネット投票と違って権威のあるベストテンであるかのように扱う。冒頭で紹介した藤津亮太の振る舞いが典型ですが「みんなが投票したのだから従え」と主張しているのです。

*26作者の言葉 大森寿美男

*1:11月24日付、同12月09日付の記事を全面改稿して本日付とし、12月25日、2018年08月10日、に小改稿しました

*2:「アニメ評論家・藤津亮太のアニメの門ブロマガ 第114号(2017/5/26号/月2回発行)」の不定期アニメ日記http://ch.nicovideo.jp/animenomon/blomaga/ar1275273

*3:https://www.nhk.or.jp/anime/anime100/ani_report/

*4:誌名はPeter, Paul and MaryのPuff, the Magic Dragonからだが(合ってますね蔵前仁一id:kuramae_jinichi様)筆者はこの曲のメロディーを聞いたことが無い。洋楽のヒットチャートのメロディーはCMやBGMとして使われるので旋律だけ覚えてる事は割と在るのだが

*5:この曲に登場する竜パフ(Puff)の名は当時様々な事物に付けられたが、マンガ・アニメを語る上で取敢えず覚えておくのは「だっくす」から改名した清彗社のぱふ、同誌が内紛を起し分裂した一方の片割れである雑草社のぱふ、そして前二者とは直接関係無い富沢雅彦の「PUFF」この三つ

*6:ヘンリー・ダーガー非現実の王国で」とセーラームーンを切掛に世界的な文化アイコンとなった「戦闘美少女」を結びつけて語る論者がそのふたつの間の年代に唄われたPuff, the Magic Dragonに触れないのはおかしいのでは斎藤環id:pentaxx

*7:80年代半ばまでは当時「小学館白泉社系」と通称された「マンガファン向け」の少女マンガ。80年代後半からは、「C翼」のとき閾値を超え制度として確立された女性向け二次創作同人の大手出身の作家の作品

*8:いちIPが一日一票投票出来、毎日反映されてランキングが入れ替わる

*9:http://www.shinchosha.co.jp/geishin/backnumber/20170825/

*10:https://twitter.com/noieu/status/902448915894550528

*11:例えばhttp://filmart.co.jp/wp-fa/wp-content/uploads/2017/02/kojinteki-na-harmony_resume.pdf

*12:つまりヌーベルバーグの一翼として

*13:戦前戦後のハリウッド全盛期、ブロックブッキンッグを維持していた当時のハリウッドメジャーはそれぞれ専属のアニメイテッド・カートゥーンの制作スタジオを持ち、ニュース映画と共に実写長編映画の前座として上映される短編漫画映画を作らせていた。勿論週替り

*14:勿論順番が逆なので、長編成りを果たしたディズニーを筆頭とするハリウッドのアニメイテッド・カートゥーンへの対抗運動としてアンドレマルタンはアニメーション映画運動を初めた

*15:現在でも北米ではテレビ用の商業作品は「toon」「cartoon」と呼称され「animation」とは呼ばれない筈

*16:テレビの子供向けの連続短編映画。カートゥーンとは限らず、「特撮」などのパペット・ムービーも含む事に注意!

*17:生身の人間の演技を連続撮影する

*18:puppet filmの日本語訳、つまり、動かした立体物の動きを連続撮影したものか、動かない立体物に齣撮りで動きを与えるか、を問わず、立体物によるキャラクターによる映画、という意味での

*19:animated cartoonの日本語訳としての

*20:特撮は自然に孤立したのではなく「アニメーション」というジャンル区分によって孤立させられたのだ!

*21:つまり、アニメーションの略称であるよりは「昭和三八年の鉄腕アトムから始まったとされる日本のテレビアニメ、及び同様式に基づいたアニメーション映画」という、狭いとされながら54年間で質量共に膨大な蓄積を誇る様になった商業アニメーションのいちジャンルを指す呼称で

*22:http://www.style.fm/as/05_column/gomi/gomi18.shtml

*23:誰によって?

*24:引用した芸術新潮編集部の質問状を御確認されたし

*25:http://d.hatena.ne.jp/akakiTysqe/20131219

*26:http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=12425

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急ぎ過ぎではないか「原口正宏アニメ講義」

第110回アニメスタイルイベント「原口正宏アニメ講義vol.10 TVアニメ50年史を語る 永井豪アニメの時代と業界の再編成」視聴致しました。「第10回となる今回は最初にスポ根アニメの総括をしつつ、新たに登場する『旧ルパン』『海のトリトン』『科学忍者隊ガッチャマン』『マジンガーZ』といったエポックな作品に触れ、それらが後のアニメブームにつながる流れなどを解説する予定です。」との事でしたが、実際の放送は東映動画のテレビまんがが昭和四十七(1972)年のスタジオ封鎖を伴う争議で混乱しつつ次代への布石を打っていた事で大部分を費やし、最後に昭和四十八(1973)年の虫プロ倒産でスタッフが何処に行ったかを述べて、放送は終わりました。作品について語ったのは東映動画のものだけでした。

で、この後がいきなり「原口正宏アニメ講義 vol.11 『アルプスの少女ハイジ』がアニメ史に残したもの」へと飛んでしまう。

筆者は近年Dlifeで放送された旧「エースをねらえ!」を観て、驚嘆しました。表現手法は「哀しみのベラドンナ」のものを原作とテレビまんがの制作事情に合わせ非常に簡略化したもので、後年の例えば新房昭之「物語」シリーズに至る表現様式ですが、「ハイジ」より遥かに手を抜いた表現手法であるにも係らず、「ハイジ」に負けないくらい人を引き込む力が、そして引き込まれるに足る内容がある。

遡れば虫プロは長猫と同じ年にアニメラマ二部作の前編「千夜一夜物語」でその年の興行収入二位になった。ベラドンナについてもアニメラマ二部作についても拙blogの過去記事で中途半端ながら触れましたが、此等虫プロの子供ではなく若者層を観客として目指した「漫画映画」の試みが同時代のテレビまんがに呼応されていない筈がない。アニメラマであれば「ルパン三世」ですし、ベラドンナなら「エースをねらえ!」です。他に的確な例を挙げられるでしょう。そういった試みを一切すっ飛ばして、事実上「新東映*1の動向だけで終えてしまい、その後いきなり「旧東映*2の精華とされる「アルプスの少女ハイジ」。

宮粼駿の講演「ある仕上げ検査の女性」にあるように、「アルプスの少女ハイジ」は宮粼等自身も含めたメインスタッフの献身的な労働量によって初めて成り立った作品です。それをそれに至るテレビまんがの検証をせず「あるべきアニメ」としてしまっていいのか。旧エースの様な出崎統の方法論こそ作品として優れたテレビまんがを持続して作る方法として正しいのではないか。「ハイジ」は「鉄の檻」*3だ、というのは一面の真理*4ではないでしょうか。

「ルパンやバカボンについては非公開の第二部でやったから」は無しですよ、それらを取り上げろという話では無いのですから。私は虫プロのアニメーション映画での試みと呼応した「子供ではない観客」への模索、という観点から1970年代初めの「ハイジ直前」のテレビまんがを検証しては、と提案します。歴史の流れは一様ではない。「ぼくら」が生まれていなかったり幼児だったりした頃、アニメブーム以前のテレビまんがの時代を十分に詳しくやらず、誂えられた結論だけを提示されるのは間違ってます。この一連の講義は「事実としてのテレビまんが」→「事実としてのアニメブーム」について知るためのものである筈です。

「ビランジ」*5に、アニメが生まれた夏『日本アニメーション映画史』を上梓した渡辺泰が、戦後の劇場アニメ公開史を編年で書いていました。が、その連載を昭和四十六(1971)年で終えてしまう。哀しみのベラドンナを黙殺するのみならず、東映動画の争議にも触れずに、逃げてしまう。この衰弱は渡辺氏の加齢だけではありません。
例えばこんなのはどうでしょうか。
原口正宏アニメ講義 vol.11 出崎統の登場、ヤングアダルト層への模索、虫プロ倒産」
準備を考えれば今から変更出来ないのかもしれませんが、以上意見具申します。

*1:漫画映画を切り捨てテレビまんがの制作に特化しようとする/そしてする、会社としての東映動画

*2:漫画映画の東映動画でフルアニメーション技術を学んだが会社のテレビまんが優先により離れた、とされている人々。Aプロダクション→スタジオジブリの系譜が典型とされる

*3:ウェーバープロテスタントの倫理と資本主義の精神」から

*4:例えば『ミッキーマウスストライキ!--アメリカアニメ労働運動100年史』訳者解説「アニメーションという原罪"Drawing the Line"を訳しながら考えたこと」http://www.godo-shuppan.co.jp/img/kokai/kaisetsu_kokai.pdf、592p

*5:http://www8.plala.or.jp/otakeuch/contents-biran.html

ある「アニメーション史家」の「不誠実」

ユリイカ2013年8月増刊号「やなせたかし アンパンマンの心」*1掲載の津堅信之id:tsugata執筆の記事*2の内容には明らかにおかしな所がある。津堅はやなせが関わったアニメラマ二部作の「千夜一夜物語」を紹介する際

「(「千夜一夜」で言われる、性描写を含む「大人向け」とは、1980年代半ば以降のオリジナルビデオアニメとして数多くリリースされたロリコン系の成人向けアニメとは全く異なり」「そのこと(アニメブーム以降の思春期・青年に向けられた作品群)と、『千夜一夜物語』に始まる「アニメラマ」とは、直接の関係はない(略)広い意味での大人向けの娯楽、別の言い方をすれば中高年向けの娯楽としてのアニメは未開拓のままであり、その意味でアニメラマは、日本のアニメ史からみて孤立した作品群なのである」
とし
「(やなせと手塚の)最初の共同制作が「妖艶な成人向け」長編アニメになったのだから、手塚にもっと長生きしてもらっていれば「正真正銘、正統派の子ども向け」長編アニメが、共同制作として誕生していたのではないか。深夜放映の、視聴者を選ぶ作品が激増してしまった昨今、そんなことを夢想せずにはいられない」
等と、書いているのだ。

ルパン三世』のパイロットフィルムが完成したのが1969年5月13日*3、『千夜一夜物語』公開が同年6月14日という日付を挙げるだけでこの津堅の記述への反証になる。現に氷川竜介は同人誌*4掲載のアニメ映画小史で、この時期(昭和四十年代)から勃々出て来るようになった「大人・青年向け」を謳った商業アニメーションの代表としてアニメラマ二部作と『ルパン三世』、『哀しみのベラドンナ』を併記している。昭和四十年代の青年とは団塊世代前後だから、今日「中高年向け」に見える文化が当時は「若者文化」とされている事がしばしばあり、「アニメファン」がマスとして存在する、テレビまんがを観て育った世代からは、それが得てして御仕着せと感じられる。その意味で子供向けのテレビまんが(及び漫画映画)から成長した「思春期向け」の作品群がアニメファンにとっての中心となるのは必然。

同じ観客層をほぼ同じ時期に狙ったアニメラマ二部作とルパン三世の明暗の理由を考察すると、前者の(手塚治虫が好む)メタモルフォーゼなどの、画面に映るものが「動く絵」であることを強調する表現の指向が、「リアル」を求める(表象するものがされるものに対し透明に見えることを求める)当時のアニメファンの志向に合わなかったからでは。筆者は別稿で『哀しみのベラドンナ』を東映長編の『太陽の王子ホルスの大冒険』と対比させたが、短期間で制作され表現の水準で同時代のテレビまんがを大きく超えるわけではないアニメラマ二部作は、対比の対手を東映長編の中でも『長靴をはいた猫』『どうぶつ宝島』ではなく、『太陽の王子』の裏で大工原章が率いて作られた『少年ジャックと魔法使い』などにする他ない*5大塚康生の指摘は一面正しい…。そう云った考察を、津堅は事実に反することを書いて、排除している。

津堅は「中高年向けの娯楽としてのアニメは未開拓のまま」と述べる。昭和五十年代のアニメブーム期に「いしいひさいち以降*6」の現代四コマ漫画を原作にしたアニメ映画が幾つも作られているのだが。演出を務めたのは『ルパン三世』のパイロットフィルムを作画した*7芝山努小林治で、低水準の作品ではない筈。平成の再アニメブームに入ってからは今敏湯浅政明。そして『じゃりン子チエ』以降の高畑勲*8。全体から見て少数であっても「広い意味での大人向けの娯楽、別の言い方をすれば中高年向けの娯楽としてのアニメ」を目指し作品として成功した事例が幾つも、興行で成功した事例もあるのに、津堅は事実に反することを書いて恥じない。

筆者は、「アニメ」を特殊で閉ざされたものとした上で高畑勲宮崎駿作品やその系譜に繋がる作品群「だけ」が開かれた外部に繋がるものだとするイデオロギーを、「漫画映画史観」*9命名しました。ただ言い訳めきますが、叶精二の様に確信を持って自覚して漫画映画史観に基づいている論者には敬意を払っているつもりです。唾棄しているのは漫画映画史観の枠組みを使ってアニメを貶めているくせに、そうではないとする手合です。

『週刊SPA!』1997年4月30日&5月7日合併号で東浩紀は、コミケOVA市場がオタク向けと子供向けに分化するが此等は等し並に特殊で閉じられたものだという図面を示した*10 *11小川びいがその間違いを指摘すると*12「僕自身はセーラームーンおジャ魔女のようなメガヒットにしてもオタク的な感性に支えられていると発言しているつもり」と弁解しその口で「新聞レベルでの紹介をするときの必然的な表現でこの作品にオタクがどんな思いを込めていたかとは無関係(中略)僕はそこではただ一般常識を繰り返したにすぎない」、だから「セーラームーン」は子供向けメガヒット路線と「のみ」記述し、オタクやエヴァンゲリオンにとってどうであったかは(それを書く紙幅が十分に有っても)触れない。知ってか知らずか津堅はこのような東の振る舞いを擁護しており*13、アニメを閉ざされたものとする図式を維持した上で「開かれた」「メジャー」なものの中に宮崎・高畑だけではなく押井を/大友を/庵野エヴァンゲリオン)を/或は他の何かを加えれば免れているとする。

「本当はバカにしているくせに上澄みだけ掬い取る(永山薫id:pecorin911)」*14

アニメラマ二部作、そして哀しみのベラドンナを孤立させているのは、嘘をついてまで「孤立している」と人事のように述べる津堅信之自身では?

*1:http://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791702589

*2:「神様」と「毛虫」のコラボレーション 手塚アニメ『千夜一夜物語』と、やなせたかし

*3:大塚康生『作画汗まみれ』文春文庫版181p

*4:ロトさんの本30 アニメ映画の当たり年 2012年をリアルタイムで語る

*5:だから「アニメラマ三部作」などと無造作に一緒にすること自体が『哀しみのベラドンナ』という映画を貶める為の戦術である。流石に津堅はそれをあからさまにはやってないが

*6:厳密には植田まさし以降

*7:宮崎駿と同期で東映動画に入社したが正社員の宮崎と違い契約社員だった為か早くに楠田大吉郎率いるAプロダクションに移りテレビまんがに転じた

*8:アニメラマルパン三世ベラドンナの全てでアニメートした杉井ギサブローは昭和六十二年に『源氏物語』を公開。筆者は未見だがどのような映画なのだろうか

*9:津堅やトマス・ラマールも取り挙げている2004年に開催された企画展「日本漫画映画の全貌 −その誕生から「千と千尋の神隠し」、そして…。−」http://www.ntv.co.jp/mangaeiga/から命名

*10:http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/reds_akaki/20120622/20120622132501_original.jpg

*11:http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/reds_akaki/20120622/20120622133810_original.jpg

*12:http://www.st.rim.or.jp/~nmisaki/topics/btoazuma.html

*13:http://d.hatena.ne.jp/tsugata/20081113/1226578800

*14:『Sexyコミック大全』後『網状言論F改

魔法少女例会とまどかマギカ大討論会への質疑用レジュメ

本稿は9月7日のコンテンツ文化史学会 - コンテンツ文化史学会2013年第2回例会「テレビ文化の歴史と表象としての少女-「魔法少女」をめぐって-」のお知らせ(参加登録開始)、及び8日のまどか☆マギカ 大討論会 - あいち国際女性映画祭への質疑用レジュメとして用意した物で、何方の会にも参加出来ませんでしたが後学の為挙げます。9月11日及び11月01日加筆。

私が「哀しみのベラドンナ」を観たのは(2008年だと記憶していたが、記録では)2006年暮れのポレポレ東中野です。秋に唐沢俊一ロフトプラスワンで紹介しているイベントを観て知り、アニメの門のある日にアニメラマ二部作と纏めて観ました。藤津亮太氏に(06年なら色々あったにも関らず)これが今年最大の事件だと口走りました。

二度目に観たのは2011年の2月から3月にかけてです、辛い話なので見返したくなかったのですが、さやかと杏子の物語を観「魔法少女まどか☆マギカ」を考えるため意を決してDVDで再見しました。

最初に観た時思ったのは内容より寧ろこの作品を今まで知らされなかった事への怒りでした。長井勝一が『ガロ編集長』で「(カムイ伝の物語の歩みとは裏腹に)現実の方の闘争では、集団を組みながらでもその中での個人のあり方を絶えず問題にしていく方向がはっきり出てきた(単行本版210p)」と記しており、集団制作される商業アニメーションでは「カムイ伝」に対応する作品は在り得ても、(つげ義春岡田史子が代表する)ガロ・COM系と云われるものに対応する文芸系の作品はアニメブーム以前の昭和四十年代当時には在り得ないのだ、と思っていましたが、あるのに黙殺されていたのです。特にまどかへの参照としてベラドンナへの言及は皆無に等しい、管見の範囲では、アニメルカvol.4で石岡良治が「奥さまは魔女」はルネ・クレールによる映画版が先にあり其処ではセイラム魔女裁判が参照されている事を紹介し、全ての魔法少女潜在的に迫害の対象としての魔女である事を示唆したのが、唯一です。ユリイカ編集部はこの記事を読んでいる筈にも関らず、同誌のまどか増刊では誰もベラドンナに言及していない(同号の石岡記事はその役割ではない)。夜想bis+の新房昭之インタビューで、ときめきトゥナイトのエンディングが杉井ギザブローによると言及されてもベラドンナは言及されない。ラマール『アニメ・マシーン』−将にアニメートされない(動かない)図像の連なりを撮影や編集で「動かす」映像手法の意義が語られているにも関らず−でも言及されていないが、「本書では宮崎駿スタジオジブリ庵野秀明GAINAXCLAMPのマンガとアニメ、この三つの系統に焦点を当てた」と述べているので情状の余地があろう。寧ろ須川亜紀子『少女と魔法』が、魔女とその西洋や日本での表象の概説に二項分を割きクレール版奥様は魔女にも言及しているにも関らず、ベラドンナに言及していない事を責めるべきでしょう。

アニメ以前の歴史の御浚いをしましょう。戦争前日本の漫画映画は小さな工房で教育市場向けに制約された内容を乏しい予算で細々と作っていました。が戦争に乗じて始まった統制と国策化、具体的には映画法で劇場に義務付けられた文化映画の上映枠という新しい市場に向け分業を始めとする産業化が進められ、「海の神兵」の様に国策映画としての内容面では当時の典型だが、この時期のアニメーション映画としてはリアリズム表現に傾斜した特異な作品をも産み出しましたが、敗戦後制作者達は再び貧しい市場の中に放り出されました。東宝争議に伴った再編成で東宝の教育映画部門は切り離され縮小し取引が滞って政岡憲三が「食えなくな」りそして瀬尾光世の長編「王様のしっぽ」の配給を東宝が拒否、その理由が社長米本卯吉による「赤がかっている」という、イデオロギーを理由にしたものであることは特記さるべきで、戦中に日本漫画映画の一つの頂きを創った両名は動画制作の場から去らざるを得なくなります。「最早戦後では無」くなった昭和三十年代に入り、大川博のお迎えが来て大資本の庇護の元での制作となりましたが、当初動画スタジオに企画の決定権は無く、必ずしもアニメーションが判っているとは云えない東映本社から天下る、ブロックブッキングによる長編二本立ての興行に組み込む為の企画を、唯々諾々と受け入れるしかありませんでした。その最悪事例が昭和三十六年の「安寿と厨子王丸」です。

五味洋子さんが大学図書館での出会いを回想しているように、1974年に廃刊した雑誌「映画評論」は佐藤忠男編集長時代から『Fan&Fancy Free』同人の渡辺泰森卓也おかだえみこ等アニメーションの評者を起用したことでアニメを語る言葉の歴史においても重要な媒体です。同誌の昭和三十年代半ばにおける目玉連載に当時産業としての繁栄の頂点にあった大手映画会社等それぞれの制作の現場を経済学者野口雄一郎と共に取材分析する「撮影所研究」があったが、それを予期してか最後に回されたと思われる、東映動画を取り上げた回で他のスタジオでは受けなかった強硬な抗議を受け、連載を終えると共に佐藤忠男は編集長を辞任している。この撮影所研究−森卓也の手塚「西遊記」評内での「安寿」へのコメント共々カタログハウスから出た『「映画評論」の時代』に採録されている−、そして『作画汗まみれ』に採録された社内での批評会や「安寿」を機に東映から虫プロに移った杉井ギザブローの回想、等を見ても、押し着せられた企画でありその体制迎合な主題とライブアクションからの引き写しなど非創造なリアリズムによって現場の憤懣の中心となっている事が撮影所研究で取り上げられた「安寿と厨子王丸」こそが「海の神兵」よりずっと、ジャパニメーションの負の起点です。安寿と厨子王丸のような動画はもう二度と作るまいという悔恨共同体が生まれ、そのための方法としてふたつの動きが生まれた。ひとつは労働組合によって職制を超えた人と人との繋がりを作り出し東映動画の制作現場を内側から作り替えていくこと。もうひとつは東映動画の外に理想のアニメーションを作り得る製作の場を作り上げること。後者を選んだ人々が「印刷漫画の限界を極め」安寿の前作『西遊記』で創造的な仕事をした手塚治虫の元に集ったのは云うまでもない。このふたつの運動は、72年の東映動画のスタジオ封鎖を伴う大量解雇とそれに先立った組合主要メンバーの退社、73年の虫プロ倒産によって何方も一旦は潰えますが、今日我々が知るそれぞれの達成点として「太陽の王子ホルスの大冒険」と「哀しみのベラドンナ」があります。

御浚いをしたのは、此等アニメ以前の作品で女性をどのように描いたか、中でもそのあり方自体に強い劇(葛藤)を孕む「迫害の対象としての魔女をこそ「人間」として描く」事を、どのように行ったかが、「アニメ」の成立に深く関わっているからです。東映が「白蛇伝」を製作する際、岡部一彦等大人漫画家組と旧日動のアニメーター組を競わせました。後者の大工原章森康二白蛇伝の二人の原画家ですが、白娘を委ねられ描いたのは専ら大工原章です。大塚康生インタビューに拠れば(自然主義に基く演技の森とは反対に)動きの要所で手の表情を大事にする、見得を切るポーズを「決め」る演技(それは非常に限られた動画枚数での劇画の映像化に定位した「テレビまんが」の演技の範例になったとも云い得る)が特徴のアニメートをする人ですが、後年東映本社に依頼され「トラック野郎」の公式の似顔絵を描く優れたカートゥニストでもあり、この人の描く女性を「色っぽい」と感じヒロインを委ねた当時の製作者の判断は、「千夜一夜物語」にやなせたかしクレオパトラ」に小島功といった大人漫画家を起用したアニメラマ二部作、そして千夜一夜に踵を接して企画された「ルパン三世」の峰不二子といった「大人(当時の青年である団塊世代も含め)向け」の作品群と同じ感受性の地平にあります。始期の試行錯誤を過ぎ「子供向け(秩序回復)」に定位した東映長編で「少年猿飛佐助」の夜叉姫「少年ジャックと魔法使い」のグレンデルと云った「倒されるべき悪い魔女」を艶容に描き、(森が招聘された「太陽の王子」組の裏で)会社の指示通り「プレハブの建物」を作る責任者にされる事でアニメーターとしての経歴を終えました。弟子の大塚康生は勿論、大塚を介しての孫弟子である木村圭三郎も「タイガーマスク」を残しましたが、大工原自身は漫画映画→テレビまんが→アニメという変遷の中で忘れ去られてしまったのです。

森遊机「実は私、森康二さんが描かれる女性がもうひとつ掴み切れないんです。同じ森さんの絵でも、愛らしい童女や動物ほどには。いや、キャラクターの性格というよりも、絵柄として、すんなり入り込めないといいますか…(略」
大塚康生「略)森さんが描かれるキャラクターはスタティック(静的)というか、止めっぽいというか、あんまり生きた漢字がしないですね。偶像のようで」
森「美形で、目がガラスのように静かで、透明感があって」
大塚「高畑さんはそこが好きだと言うけど、僕は何か死んでるなという感じがちょっとありますね。」
大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽』48p~49p

安寿と厨子王丸」を「なんと情けない動画を作ってしまったものか」と嘆くアニメーター達と裏腹に、高畑勲はああいうリアリズムをやってみる意義は大きかったと肯定的に評価している。勿論主題に対してでは無い。ライブアクションではなくアニメーターの観察によって演技を設計し、そしてお仕着せではなく、制作現場を内側から良くしていこうとする人々から内発する心情を、主題として組み上げていけば、リアリズムに基いた「目指すべき漫画映画」が出来る。高畑勲がホルスそしてハイジで確立させた方法論、ジブリを筆頭に他の例を挙げればぴえろ魔法少女京アニなどに代表される、アニメのリアリズムの「制度」(「おもひでぽろぽろ」以降の高畑勲の軌跡は、この「火垂るの墓」で一つの頂点を極めた「制度としての高畑勲」を乗り越える試みとして観ることが出来る)は、その起源を辿れば安寿と厨子王丸を換骨奪胎したものではないか?

「太陽の王子」はアニメーターが自身で主導権を持 って描き演出家はそれらを調整するという「漫画映画」のやり方ではなく、スタッフから募ったアイデアは演出家の元で一貫した物語計画に纏められそうでないものは採用しない、その主題は「守るに値する「村」」(『「ホルス」の映像表現』112p)を描くことで、映像の諸要素はその物語計画に動員される。そしてその諸要素の内最も重要なそれは、物語の大団円で「英雄」ホルスと共に村人の一人となる、最も強い葛藤(劇)を自身に孕んでいる「悪魔の妹」ヒルダに他ならない。そのヒルダを森康二に委ねるという高畑勲の選択は、「どのような女性像を「色っぽい」と感じるか」という当時の「大人」の予期される感受性−当時の青年である団塊世代森遊机等その下の世代も含め−とはっきり異なったものです。

白蛇伝の白娘には森康二が描いたパートもあり、大工原章が描いた白娘よりそちらのほうが少女らしくて素敵だ、とホルス以降の世代の観客には言われるそうです。我々は萌えと呼ばれる感受性に触れる表現の系譜の起源の一つとして「こねこのらくがき」を想起しますがそれはヒルダから遡ってそう感じるのではないでしょうか。そしてその転換は高畑勲が「守るに値する「村」」を描く為の物語計画としてヒルダを森康二に委ねた事から始まるのです。ヒルダこそが最初の萌えキャラ、と云うより、「萌え」の範例を創りだしたキャラクターなのです。70年代のアニメブーム興隆期には「ヒルダファンクラブ」が活動し現在高名な人々が集っていました。

山本暎一杉井ギサブローは「哀しみのベラドンナ」の描き手としてアニメーターでは無いイラストレーターの深井国を選びました。アニメートされない(動かない)図像の連なりを、テレビまんがで培った「省セル」技法を活かせば撮影や編集で「動かせ」る、と考え、白蛇伝の時点では失敗した漫画家・イラストレーターによる長編アニメーションに挑戦したのです。後年ミシェル・オスロは「キリクと魔女」でベラドンナに応答しますが、受け手の側から見た場合、ベルナール・ビュフェの影響を受けたという深井のイラストレーションを起用する杉井・山本の判断は、70年台の所謂「黄金時代」の少女マンガの「西欧純文学」を志向したものと同じ感受性の地平にあります。後年アメリカン・コミックスの女性作家Barry Lyga,Colleen doranは自作『MANGAMAN』で同時代の日本では前時代のものとされややもすれば揶揄の対象となるこの系統の少女マンガを引用しましたが、新書館ペーパームーン」に典型的に見られるように、「黄金時代」の「西欧純文学」系少女漫画の読者−作者は、西洋美術から同時代の対抗文化までを包摂した教養を、自身のものとして強く志向していたのです。

最後に「安寿と厨子王丸」に戻りましょう。「ホルス」「ハイジ」での高畑勲の方法論(≒制度としての高畑勲)は、天下ってきたお仕着せの企画を非創造なリアリズムで映像化した「安寿」で培われたリアリズム表現の技術を、実際に作る者達の間の内から発する心情と志向によって組み替えるものである、と仮定しました。「アルプスの少女ハイジ」を提案した高橋茂人に対し、高畑勲は「子どもを教化・善導しようとする十九世紀の児童文学では無く、二十世紀以降の子どもの心を解放しようとする現代児童文学、特にファンタジー性の強い作品こそ採り上げるべきではないか」と提案しました。ディズニーであれ往時の東映長編であれ、嘗ての多くの時間と人件費を費す長編アニメーションの興行では多くの観客に知られた−観客に評価の定まった題材であることが求められ、当時それは児童文学などの古典でした。世界名作劇場に代表される”名作物”という企画は、往時の劇場で上演される長編漫画映画の商業主義の典型であったこのジャンルを、当代のテレビで放映されるアウラとして企業イメージを上げたいスポンサーに売り込むというものです。但し高橋茂人はそのアウラを本気で信じ、それを作り出すために東映を追われた「太陽の王子」組を集め、委ねたのですが、高畑等実際に作る側から見ればそれは安寿と厨子王丸と同じ「十九世紀の教訓的な児童文学」を原作にしなければいけない、という制約で、作る側に内発的な心情とそれを作品として組み上げる力量が無ければ、世界名作劇場を始めとする名作物はとりわけ容易に安寿と厨子王丸の再販になる。「フランダースの犬」がそうです。高畑は「ドラえもん」のシノプシスを書きつつ、日本アニメーションの在籍していた80年春に高橋に述べたのと同趣旨の意見書(『映画を作りながら考えたこと』所収)を局・代理店に提出しましたが、結局自身がテレコムに移り「じゃりン子チエ」「リトルニモ」を映画化する/しようとするとともに「ナウシカ」「ラピュタ」で盟友宮崎駿をプロデューサーとして支える事でこの隘路を乗り切りましたが、勿論安寿と厨子王丸化が無くなった訳で無く、「宮崎アニメ(風の作品)」「スタジオジブリ」といったブランドの中から再販安寿と厨子王丸が出て来るのです(元々本稿は、2011年に於ける対照的な出来事、「魔法少女まどか☆マギカ」の達成と、「コクリコ坂から」を始めとする「にせ宮崎アニメ」が何本もそれも山本寛新海誠の様な次代を担うとされる監督たちによって一斉に作られるという悲惨を併せて考察する、というものでした)。

魔法少女まどか☆マギカ」への最も優れた評の一つとして、小島アジコの奥様の801ちゃんは「まどか」の魔女達が皆契約して魔法少女になった少女達の成れの果てであること、その個々の彼女達に一番惹かれる、と呟いています。魔女の来歴を案出したのは劇団イヌカレーであり虚淵玄ではありません。「特撮」を中心とした実写を参照項にしているエヴァンゲリオンと違いまどかはより「アニメーション」の系譜から観られなけなければならないのに虚淵ャーについての話ばかりが流れる、その事が劇場版が残念な出来(そうはっきり云いましょう)になってしまったことにも繋がっています。五話でさやかが追いかける落書きの使い魔は大工原章が描いた「こねこのらくがき」の落書きだし、そして此処で登場する佐倉杏子は「雪の女王」の山賊の娘です。呉智英『大衆食堂の人々』所収のエッセイに、山賊の娘とヒロイン・ゲルダとの関係に萌えていたが成長し絵本を見返したら不細工だったので一気に冷めたという下りがある、まぁこれは笑い落ちですが、彼女のゲルダへの執着が同性愛であるとの解釈は多く為されており(藤田貴美による漫画化。杏さやについては杏さや(まどマギ):百合カプ 大全 - ブロマガで「杏子の慰め方が女友達じゃなくて完全にイケメンレズなんだよね」との指摘)、アンデルセン繋がりでもあるので。暁美ほむらは勿論ヒルダだし、巴マミクリィミーマミゴスロリver.、そして美樹さやかはそう名付けられているように悲惨な運命を辿る永井豪作品のヒロイン。まぁ後のふたつはフィギュアと紙のマンガですが、この程度の指摘も挙がらないのは絶対おかしいよ。

本稿執筆に際し多くの先人の記事を参照しました。その中から特に、月刊OUT84年01月号掲載の霜月たかなか原田央男)の高畑勲『「ホルス」の映像表現』に基く論考と、若き歴史学者木村智哉による研究を挙げます。
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CiNii Articles 著者検索 - 木村 智哉
革新と拡散 : 日本におけるアニメーションの変容に関する文化思想史的考察 ([木村智哉]): 2011|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
博士学位論文内容の要旨及び審査の結果の要旨 平成23年9月28日付け授与分pdfのp.109-113に木村智哉の博士論文「革新と拡散 : 日本におけるアニメーションの変容に関する文化思想史的考察」の内容及び審査の要旨が掲載)

第三次アニメブームと言うな!

MAG・ネット2012年4月号*1に於ける氷川竜介氏の解説を観て暗澹となった。氷川氏は此処で”超世代アニメ”なるものの代表を「70年代の宇宙戦艦ヤマト、80年代の機動戦士ガンダム、90年代の新世紀エヴァンゲリオン」と挙げ、その条件は「その1・十代の少年が主人公、その2・過去の名作がベースに、その3・物語に不完全な部分が残されている(続編・リメイクが作りやすい)」等と述べたのだ。

宇野常寛は複数の媒体で何度も「70年代の宇宙戦艦ヤマトによる第一次アニメブーム、80年代の機動戦士ガンダムによる第二次アニメブーム、90年代の新世紀エヴァンゲリオンによる第三次アニメブーム」と唱えており前島賢なども好んで”第三次アニメブーム”と唱えている。この”ゼロ年代の批評”の論者達の、こいつらの用語でいう「ディケイド*2」の区切りが先にあり事実関係などそれに曲げて当て嵌めれば良い、という振る舞いについては藤津亮太が既に的確な批判をしている*3が、津堅信之id:tsugata氏は何故かこれに否定的に言及する*4一方で、宇野式のディケイド当て嵌め区分には好意的に言及*5している。

筆者が90年代を「第二次アニメブーム」と呼称する言説に初めて触れたのは、96〜7年頃に同人誌「この本を見ろ!」の「第二次アニメブームが始まった」という記事で要旨は「思春期・青年向けのアニメは特にテレビでは永らく逼塞していた。がセーラームーンを経てエヴァンゲリオンに至り続々成功作が現れており、第二次アニメブームが始まったと考えるべきだ」。あくまで昭和五十年代のアニメブームの「再生」という意味で、つまり固有名詞としての「アニメブーム」を踏まえて「第二次」と呼称されている。しかし津堅氏は、特殊撮影技術や着ぐるみを併用した劇映画や人形劇と渾然一体となっていることから見ても「テレビまんがブーム」としか云い様がない60年代のブーム*6を、何故か此等を排除しセルアニメーション「だけ」で「第一次アニメブーム」と称し、昭和五十年代と90年代の各々のブームを「第二次」「第三次」に繰り下げている。

「アニメブーム」という言葉は固有名詞なのです、思春期・青年層の受け手と彼等に向けられた作品群が初めて前景化した昭和五十年代の!だから本当は90年代を第二次ということすら望ましくなく、三期各々のブームを各々の固有名詞で呼ばなければいけない、小川びいが云うようにゼロ年代と言っている時点で日本社会の現象を語る資格は無いのです。昭和という年号が十年紀に於いて西暦のdecadと対称でありしかも終戦*7と一致する以上、昭和の十年紀で時代を区分する視点は欠かせない*8筈なのに、こいつらは「ディケイド」「ディケイド」「ゼロ年代」と唱え「70年代のヤマトによる第一次アニメブーム80年代のガンダムによる第二次アニメブーム90年代のエヴァによる第三次アニメブーム」と唱えている、それはおかしいと指摘されたら「いいえ私たちは精華大学の津堅信之准教授の区分に基づいて第三次アニメブームを論じているんです」と嘘吹き、去ったらまた「70年代の第一次アニメブーム80年代の第二次アニメブーム90年代の第三次アニメブーム」と唱え始めるのではないでしょうか。氷川竜介はこの詐欺集団に阿って口を曲げ、そして津堅信之は学知の名の下に、詐欺に竿を差している。

*1:http://www.nhk.or.jp/magnet/playback/2012_04.html

*2:西暦の十年紀を意味するdecadに由来

*3:アニメ!アニメ!内の「藤津亮太のテレビとアニメの時代 第1回最初に倒れたドミノの1枚へ」http://animeanime.jp/article/2008/11/21/3934.html

*4:アニメ学 isbn:4757142706、30-31p

*5:日本アニメーションの力―85年の歴史を貫く2つの軸 isbn:4757101236、150-151p

*6:例えば氷川『ロトさんの本 EX-1アニメビジネス48年の軌跡』参照

*7:敗戦〜降伏〜占領〜戦後改革

*8:宮本大人「昭和50年代のマンガ批評、その仕事と場所」http://ci.nii.ac.jp/naid/40004853260外山恒一『青いムーブメント―まったく新しい80年代史』isbn:4779113369