「アニメ100年」という詐欺

*1

*2「いろいろ物議を醸しました」が
「システムの不備よりも、みんなの遊びに水をかけようとしている側に問題があるとまず考えるほうが正当」
「「お祭りで楽しんでいるやつに冷水をあびせるほうが面白い」という悪意をこそ、慎重に拒んでいかないといけない」

NHK BSプレミアムで5月3日に放送された『みんなで選ぶベストアニメ100』のランキング*3についての藤津亮太のコメントである。1980年代〜90年代に雑草社の「ぱふ*4 *5 *6」のベストテンが、「雑草社のぱふのノリ」を共有しないマンガ読みに対してそのベストテンに挙がるマンガ*7全般を「つまらない」「終わった」「死んだ」ものだと行為遂行的に感じさせていた、その苦々しさを覚えておられる方は多かろう。だから雑草社以上に安易なネットによる一般投票*8によるこのランキングにも全く好感は持てないのだが、一方で非難しても意味が無いのは判るので、藤津のこのランキングに異議の感情を表明する振る舞いを全否定する高圧的な言辞に嫌悪を覚え疑念を持ちつつも、表立って反論しないことで結果として同意した。

「日本アニメ100年の歴史の中で、もっとも重要だと思われる10作品をお挙げください」
30人の批評家に、編集部はこう依頼した。*9 *10
芸術新潮2017年9月号【特集】〈永久保存版〉30人の批評家が投票!日本アニメ ベスト10』

日本アニメに百年の歴史があるというのは嘘である。「アニメ」がアニメーションの略語ではなく独自の映像文化として世間の表面に現れたのが丁度四十年前の劇場版宇宙戦艦ヤマト公開の際の宣伝からだという以前に、近年土居伸彰が精力的に述べている様に*11映像ジャンルとしての「アニメーション」は1950年代のフランスで『カイエ・デュ・シネマ』誌周辺の*12批評家アンドレマルタンが「アニメーション映画cinéma d’animation運動」を初めたのが起源で、それ以前それらの映画は「漫画映画animated cartoon」「人形映画puppet film」」「前衛映画 avant-garde film」等と呼ばれていたから。「日本アニメ100年」の根拠とされる、丁度百年前の大正六年に作られたとされる「芋川椋三玄関番の巻」「塙凹内名刀之巻」等は云うまでも無く政岡憲三瀬尾光世の漫画映画も、作られた時期にはアニメーションでは無く、一方で大藤信郎は晩年の作品がアニメーションとして見出された、それが事実としてのアニメーション映画の歴史で、「前衛映画」とも呼ばれていたことから判るように芸術映画の運動である「アニメーション映画」というジャンル区分を商業作品とりわけ週単位で作られ公開される作品群*13に適用させるのは自明では無い*14 *15。別稿に譲るが、実際に「テレビまんが*16」と呼ばれていたように商業作品にはアニメーション映画運動以前から在った「*17実写」「*18人形映画」「*19漫画映画」という区分が適用されるべきだったし、今からでもそうすべきだと考える*20。然るにこの週刊新潮のアンケートは、「100年の歴史の中で」と云い前述の大正期の作品を最初の作品としながら其等を「漫画映画」とも「(アニメイテッド・)カートゥーン」とも「アニメーション」とも呼称せず、「アニメ」と*21態々呼称した上で、「もっとも重要だと思われる」作品を、つまり作品としての出来や況て投票者個人の嗜好等では無く「100年の歴史」の中で「客観的に」重要な役割を果たした作品を、順番に10作選べ挙げろと要求している。

投票者の中で小野耕世と並び最年長級の、おかだえみこ森卓也、渡辺泰の三氏は、ディズニー作品に傾倒してガリ版刷りのファンジン『Fan&Fancy Free』を発行し*22「映画評論」誌の投書欄から編集長佐藤忠男に見出された「日本でアニメーションを語る言葉」のパイオニアで、彼等の「アニメーション」についての識見が尊重されるべき事は云うまでも在りません。しかし同時に、「アニメーションの中の極狭い1ジャンル」とされた*23日本のテレビアニメが表現とその表現される内容で独自の発展をし思春期以上のファン層を作り出して以降、その若いアニメファン達から「あの人達は僕等と違う。アニメーションはよく判ってもアニメはよく判らないのでは」と云われ続けた方々でも在ります。彼等長老と、原口正宏や氷川竜介と云った、日本の商業アニメーション全体について十二分アニメーションについても十分な識見を持つ人達、土居伸彰の様な若くアート・アニメーションに必要な識見を持つ人達、そういった人達が一方でいる一方で、本来の専門分野については兎も角も、アニメは好きな作品を観ただけ、昔のアニメーションについては勉強すらしていない、そんな「日本アニメ100年の歴史の中で」「もっとも重要だと思われる」作品を挙げる識見など端から持ち得ない方々が、控えめに云っても過半数を占めている。こんな玉石混淆いや玉同士でも潰し合って有意な結果は出ないだろう30人が、「アニメ」についてなのか「アニメーション」についてなのか「漫画映画」についてなのか意図して定めずに*241人10票別々の作品でと投票し票を集計してベストテンを決め、その順位で大々的に紙面を飾る。要は、この特集で芸術新潮は、アニメを、恐らくはアニメーションも、本当はバカにしてるのだが、でも上澄みだけ掬い取るぞ*25と、宣言している。こんな、前述のNHKのネット投票と比べても肯定的な価値を持たない、糞アンケートを「芸術新潮だから」「著名な人士が並んでるから」NHKのネット投票と違って権威のあるベストテンであるかのように扱う。冒頭で紹介した藤津亮太の振る舞いが典型ですが「みんなが投票したのだから従え」と主張しているのです。

*26作者の言葉 大森寿美男
略)しかし、やはり考えてしまいます。最初に朝ドラをつくった人は、どんな思いを込めてつくっていたのか。今の朝ドラを取り巻く状況、その未来など想像もつかなかったに違いありません。
太平洋戦争が終わって八年後に日本のテレビはスタートしました。そこにいたのは、多くの戦争体験者です。そして、一からテレビの世界を切り拓ひらいていった、彼らは開拓者となりました。その思いは、世代から世代につながれ、見る人にも影響を与えることで、無意識のうちにも、今の私たちにまでつながっているはずです。その中に、朝ドラの歴史もあるのです。
同じように、そのテレビと切っても切れないアニメーションという世界も、戦後に大きく開拓されたものです。そこにいたのも、当然ながら多くの戦争体験者です。自分はもちろん戦争を体験してない、戦争を知らない子供でしたが、その人たちがつくる昭和のアニメには大きな影響を受けて育った世代です。そのアニメには、いったいどんな人たちのどんな思いが込められていたのか……そんなことに思いを馳はせるうちに、今や世界に誇る日本のアニメの原点を探るような物語を、この百作分の一作に重ねてみたいと思うようになりました。
今回のヒロインは、アニメーターになります。そしてその世界を開拓することになるのです。アニメーターとは、作家や監督とは違うけれど、決して単なる絵を描く技術者ではありません。自分の持っている身体能力と想像力を駆使して、絵を動かし、絵に生命を吹き込む表現者です。動画役者といってもいいかもしれません。そういう才能を持った人たちが、男女を問わず戦後に多く現れ、絵を動かすことに自分の人生を重ねていったのです。ヒロインを、そんな人々の象徴として描きたいと思いました。
ヒロイン・奥原なつは、戦争によって両親を失い、兄妹とも生き別れとなり、ある縁あって、北海道に住む養父の一家に育てられることになります。北海道とは、言うまでもなく、多くは明治の時代から開拓者によって切り拓かれた大地です。なつは、その開拓者の影響を受け、自らも開拓精神を養いながら育ってゆきます。そして、やがてはアニメーションという、まだ荒野の世界に足を踏み出してゆくのです。大空と大地で育まれた身体能力と想像力を駆使して。(略

連続テレビ小説100作目に当たる平成31年度上半期*27の朝ドラ「夏空」が異例の早期に発表された。ヒロイン・奥原なつが「漫画映画」と呼ばれていたアニメーションの世界に入りアニメーターになるという紹介されたあらすじから、モデルは女性アニメーターの草分けであり結成された東映動画労働組合の闘士であった奥山玲子ではないか、いや虫プロ創設に参加した中村和子ではないかと様々な憶測が為されているが、先に挙げた紹介ページ*28の文章を読むだけでも危惧する点を発見せざるを得ない。

漫画映画が、そしてテレビが戦後の平和の産物と謂うのは、嘘です。日本の場合、個人的な工房で主に教育向けに低水準の作品を作ってた日本の漫画映画は映画法初め大東亜戦争下の国策による産業化でその技術水準を大きく高め、敗戦で貧しい市場にまた放り出されて苦しい時代を経た後、「もはや戦後ではな」くなった映画界の稼ぎ頭となった大東映のお迎えに揚がり、戦前戦中戦後には果たせなかった総天然色つまり「ディズニー」水準での産業化を今度こそ為し得たのですが、その東映がそこまで儲けたのは時代劇が解禁されたからであり、解禁されたのは当時アメリカの占領下にあった日本国が極東*29に於ける米軍の「後方」となる事と引き換えに米国と講和したからであり、そしてその講和は、戦後の日本を良くし先の敗戦に至るような途を歩ませないようとしている人々に「アカ」のレッテルを貼って迫害し、戦前戦中の日本で人々を虐め日本国をして先の敗戦に至る愚行を歩ませた連中を大手を振って復権させ、そして先の敗戦よりもっとひどい状態に日本を持っていく方向に諸制度を改悪する、政治の運動と共に在った。テレビが、平和の産物であるどころか将にそのような冷戦と赤狩りという戦争の産物で在ることは、NHKと日本最初のテレビ放送を争った日本テレビ放送網の設立者である正力松太郎という人物の来歴をみればいい!政岡憲三東宝争議に伴う教育部門のリストラで制作の場を追われ、瀬尾光世はその東宝に「赤がかっている」というはっきりイデオロギー的理由で逐われた、その残党である日動が揚げられた東映は母体が満映の映画人の引揚先であり大川博*30社長のもと「経理の赤字には非常に厳しいが、社内・作品内で「赤い」政治・社会思想を表出する事には寛容」な社風ですが、当時その稼ぎ頭である時代劇は権威主義・事大主義だと批判されてて*31、企画権を東映本社に握られた当時の東映動画が、太秦の京撮のその権威主義・事大主義を主題にしそれを「公定日本美術*32の絵柄を「ディズニー的に」動かす」というという死んだリアリズム様式で制作させられたのが「安寿と厨子王丸」で、だから安寿と厨子王丸の様な漫画映画を二度と作らない為に東映動画という場を労働組合によって中から変えるか、東映の外に理想のスタジオを作るかという二つの動きが現れて、夫々「わんぱく王子の大蛇退治」「ある街角の物語」として現れ、そしてそれらとは直接関係なくアンドレマルタンのアニメーション映画運動を「アニメーション三人の会」が日本に持ち込み映画のジャンルとしての「アニメーション」というカタカナ語を日本語に加えた。つまり会社としての東映動画という中心に対し、東映動画労働組合虫プロダクション、アニメーション三人の会という三つの(商業に限れば二つの)周縁が対抗して、その運動の中から鉄腕アトムに始まる日本のテレビアニメも生まれたのです*33東映本社・東映動画が会社として傾く頃この三つの運動も潰えますが、商業のふたつで在れば「太陽の王子ホルスの大冒険*34、「哀しみのベラドンナ」という作品を遺し、来る「アニメ」への標石としたのです。が…

「「哀しみのベラドンナ」は確かに表現のレベルでは東映長編とは違う、独自の達成をしたかもしれない。しかし主題は駄目だ。あんな内容じゃ観客の共感を呼ばない。「ローマの休日」とかああいった話こそ、ありきたりかもしれないが観客の心に残るんだ」

ある「アニメ評論家」の、講義の場での質疑への応答です。このアニメ評論家が誰であるかは述べません、誰であるかは重要ではないからです。亦発言内容も私の記憶に基づいて纏めたものです。以前ダルトン・トランボの伝記映画*35を観ました。創作なので「作って」いるかもと留保をした上ですが、作中に登場するハリウッド内の赤狩り達の姿、ジョン・ウェイン百田尚樹に、そしてヘッダ・ホッパーの櫻井よしこ曽野綾子に、何と似ていて、悍ましいことか!この「アニメ評論家」が意図して無視してるのは、昔の、とりわけアニメ以前のアニメーション映画は「東映長編」であれ、アニメラマ二部作を経てベラドンナに至る虫プロのアニメーション映画であれ、現在では「教養」として、つまり原理的に「素」ではなく批評・研究の眼鏡を掛けて観るものだ、ということです。「哀しみのベラドンナ」という映画の題材・主題が、「漫画映画」「アニメーション」という場では兎も角も昭和四十年代当時の実写映画や対抗文化では寧ろありふれたものであることは事実です。ではそれら実写映画群*36も亦「観客の共感を呼ばない駄目な映画」なのか*37。いや抑、「*38観客の共感を呼ばない」というのなら、「太陽の王子ホルスの大冒険」が先ずそうではないのか?

或は、藤津亮太は2017年3月3日付の記事*39で『ひるね姫〜知らないワタシの物語』『ポッピンQ』『夜明け告げるルーの歌』を取り挙げ

略)「2016年に話題を呼んだ『君の名は。』『聲の形』『この世界の片隅に』は、いずれも恋愛の要素があり、残酷な暴力も描かれていた。その点で“漫画映画っぽい”ところからは距離がある作品だった(略)ひろく観客を楽しませるエンターテインメントのあり方として“漫画映画”っぽい路線が追求されるのは極めて自然だ。2017年は“漫画映画”の可能性に注目することになる1年になるかもしれない。」

と結んでいる。主に取り挙たげひるね姫が内容に於いても残念な出来だったのが皮肉だが、ポッピンQは「アニメ」として、夜明け告げるルーの歌は「アニメーション」として、それぞれ素晴らしい作品なのに、藤津はどうして“漫画映画”などというお仕着せを被せようとするのか。そして、

『バケモノの子』、豪華声優陣と海外配給への熱い思い*40
スタジオ地図・齋藤優一郎プロデューサー
略)「僕は30代後半ですが、子ども時代に、東映まんがまつりなどに、お世話になりました。夏に、親やおじいちゃん、おばあちゃんといっしょに映画館へ行く。子どもと大人が一緒に楽しめる映画に対する社会的な役割に、ある種の憧れをもっています」
「宮崎監督や高畑監督たちは、55年間くらいその歴史を担ってこられました。でも、それって、どこかの監督やプロデューサーだけとか、スタジオだけで、その流れをつないでいくことはできないんじゃないかと思っています」(略

まんがまつり興行*41が如何にその宮粼駿等が作ろうとした、とされる「あるべき漫画映画」の妨げになったか、特に太陽の王子が無理に尺を縮める為に完成度を落とさざるを得なかった*42か、事実は兎も角*43そう語られてきた事は、よく知られてる筈だったのですが。逆に会社としての東映動画から見れば、高畑勲・宮粼駿は太陽の王子で予算も期間も大きな赤を出した挙句に小田部羊一を連れて出ていった連中です。会社としての東映動画は、1972年にスタジオを閉鎖してリストラし、長編時代の資料を破棄して*44積極的に漫画映画を切り捨てテレビまんがとその劇場版の制作会社に徹する事で再建された会社なのに、何時の頃からか東映を出ていった、出ていかざるを得なかった人達*45と平気で一緒くたにして「東映系」「東映系」と呼びそう分類して、東映系=東映動画東映まんがまつりは漫画映画の伝統を担ってる、という嘘が今や当然のように語られる、それがアニメ100年です。

マンガについて語る言葉は「手塚治虫神話批判」や「24年組神話批判」が行われる*46ようになってから随分良くなりました、平成22年度上半期の朝ドラ「ゲゲゲの女房」の好評がそれら漫画批評・研究の室の向上と広まりによって為された事は強調してもし過ぎる事は無いでしょう。一方で平成二九年下期の朝ドラ「わろてんか」では「寄席というものはこの夫婦が始めたのだ」という「漫画史における手塚神話に近い話」が描かれるのではないかという危惧が挙っています*47 *48。神話化という点でマンガの手塚治虫に対応するアニメの制作者・作品群は、2004年の展示「漫画映画の全貌」で「漫画映画」と呼称されて顕彰された一連の作品・「作家*49」群ですが、それらの神話化は検証・批判されるどころか、会社と辞めた人を一緒くたにして「東映系」と称して平気な様に、益々短絡してます。平成最後の朝ドラ「夏空」では、ヒロイン奥原なつの漫画映画に直接関係ない十勝の幼少期*50に多くの尺を割くそうで、勢い漫画映画からアニメへの転換期にあった多くの事が、これら短絡した虚偽による神話に基づいてぞんざいに扱われる事を危惧させます。

再来年の「夏空」放映に併せ再展示されるだろう「漫画映画の全貌」展では、政岡憲三森康二→宮粼駿という系譜の制作者による作品群を「漫画映画」と命名し、この「漫画映画」こそが大正六年に始まる日本のアニメーションの「正しい」そして「あるべき」姿であると顕彰している事は、よく知られています。戦時体制の「恵まれた」条件で「ディズニー」水準の漫画映画を作ろうとした二人のうち政岡憲三が「くもとちゅうりっぷ」で戦時中にも関わらず戦時色のない平和な作品を作ったと賞賛される一方で、瀬尾光世は「桃太郎の海鷲」「海と神兵」で少国民達に戦意高揚を刷り込んだと批難される。白蛇伝の二人の原画マンのひとりである森康二が「漫画映画の神様」「アニメーションの神様」と神格化され広く畏敬される一方で、もう一人であり白娘を描いた大工原章は名ばかりの最長老として、事実としての日本の漫画映画*51にどのような役割を果たしたか嘗みられる事は少ない*52。そして「東映長編」がアニメ以前の日本のアニメーション映画の中で特権的に「観られるべきもの」とされる一方で、「哀しみのベラドンナ」に至る虫プロのアニメーション映画は、宮粼駿とスタジオジブリの名声が高まる程に、ジブリの名声が衰える近年までその存在自体が意図して忘れさせられてきた。いや抑、その「東映長編」自体、東映動画そして東映本社といった経営側と実際に制作するクリエイター達との軋轢のもとに作られてる、組合運動による制作者達の交流や、東映から退社して別のスタジオを作ると云った、経営側と対立する運動によってこそ東映動画のスタジオの制作する作品が良くなって観客が支持し、そして、東映動画が漫画映画を棄ててしまったという哀しみ故にこそ、上映会を催し観に行く熱心な観客達が東映長編を献身的に顕彰し今に残したのに、棄てた会社も辞めた制作者も一緒くたに「東映系」とし「東映長編」は「漫画映画」だから素晴らしい、と。嗚呼何という白塗りの墓!

1977年の「劇場版宇宙戦艦ヤマト」公開に東急系劇場が乗ったのは「千夜一夜物語」が1969年の興収第三位を挙げたからです。翌年の「マモー編」等、子供より上の層を観客とするアニメーション映画の立ち上げ期に於いて、作品としては成功したとは云えないが興行では成功したアニメラマ二部作が参照された事は記憶さるべきです。そして「哀しみのベラドンナ」がなければ、昭和60年代の「チルドの時代」からの、1990年代に於けるアニメの復活*53ルネサンスは無かった。「ホルス」が無ければアニメブームを支える作品群が無かったのと同様に、です。制作スタッフにとっては通過点であり、そして会社としての東映東映動画にとっては大赤字を出した反面教師でしかない「太陽の王子ホルスの大冒険」を、制作者の側で拾ったのはスタジオ系譜学的には虫プロの、それも創映社→日本サンライズの仕事を請ける様な傍流の制作者であり、彼等は30分の玩具のコマーシャルフィルムに作品としての筋を通す為に「ホルス」の方法論を必要としたのですから*54。そして、二階の住人達のアニメブーム終焉後の冬の時代に苦しみ春の訪れを愉しんだ記憶は、1970年代にアニドウ初めファンダムでの上映会に集った人々の漫画映画が捨てられた事に苦しみアニメブームの後その作り手と作品が社会的な地位を得た事への喜びや、遡ればアトム以前の作り手が安寿と厨子王丸みたいな作品を作らされた苦しみと戦う為に東映の内と外、正助とカムイに別れた事と比較さるべきです。そう、今年はアニメ四十年(アニメブーム四十周年)なのに、アニメブーム四十周年を採り上げる媒体は、後述する氷川竜介を除けば*55何所にも無い、アニメ100年、アニメ100年、アニメ100年、と虚偽の歴史ばかりが、喧伝されてる。イデオローグ*56によって、「漫画映画」以外の「鉄腕アトムに端を発するテレビアニメ出自の」作品群は「豚*57」だと、つまり歴史を持たない、持ち得ない存在だと、させられてるのに。そして漫画映画こそが「今年百年目の」「正しい」「あるべき」「アニメーションである」という看板の下で奴等は「安寿と厨子王丸」を筆頭に「フランダースの犬」「小公女セーラ」「珊瑚礁伝説 青い海のエルフィ」、そして一連の宮崎吾朗作品という糞を売り付けているのだ!前掲の、ベラドンナは駄目だと断ずる「アニメ評論家」氏等にとっては「哀しみのベラドンナ」は退廃芸術で*58そう「安寿と厨子王丸」こそが観られるべき漫画映画なのでしょう*59

氷川竜介は池袋コミュニティカレッジでの講義で10月11月12月と三回連続で「アニメ四十年」を採り上げる*60のみならず、眼鏡の聖地鯖江での(つまり地方の、アニメーションにもアニメにも詳しくないだろう「普通の人」に向けての)「アニメ100年」を演題として請われただろう講演*61 *62を、恐らくは自身の裁量で「後の四十年」に絞り込んで講義する事で、「アニメ四十年」を精力的に語ってます。周知の様に氷川氏は本稿で取り上げたNHK芸術新潮初め一連の「アニメ100年」キャンペーンに関った人ですが、氏が「アニメ四十年」を語るのは、自身が加担してきた「アニメ100年」への自身による反証・反論であり、「心ならずも」関った事への「本心の吐露」だと、私は考えます。

*1:11月24日付、同12月09日付の記事を全面改稿して本日付とし、12月25日、2018年08月10日、に小改稿しました

*2:「アニメ評論家・藤津亮太のアニメの門ブロマガ 第114号(2017/5/26号/月2回発行)」の不定期アニメ日記http://ch.nicovideo.jp/animenomon/blomaga/ar1275273

*3:https://www.nhk.or.jp/anime/anime100/ani_report/

*4:誌名はPeter, Paul and MaryのPuff, the Magic Dragonからだが(合ってますね蔵前仁一id:kuramae_jinichi様)筆者はこの曲のメロディーを聞いたことが無い。洋楽のヒットチャートのメロディーはCMやBGMとして使われるので旋律だけ覚えてる事は割と在るのだが

*5:この曲に登場する竜パフ(Puff)の名は当時様々な事物に付けられたが、マンガ・アニメを語る上で取敢えず覚えておくのは「だっくす」から改名した清彗社のぱふ、同誌が内紛を起し分裂した一方の片割れである雑草社のぱふ、そして前二者とは直接関係無い富沢雅彦の「PUFF」この三つ

*6:ヘンリー・ダーガー非現実の王国で」とセーラームーンを切掛に世界的な文化アイコンとなった「戦闘美少女」を結びつけて語る論者がそのふたつの間の年代に唄われたPuff, the Magic Dragonに触れないのはおかしいのでは斎藤環id:pentaxx

*7:80年代半ばまでは当時「小学館白泉社系」と通称された「マンガファン向け」の少女マンガ。80年代後半からは、「C翼」のとき閾値を超え制度として確立された女性向け二次創作同人の大手出身の作家の作品

*8:いちIPが一日一票投票出来、毎日反映されてランキングが入れ替わる

*9:http://www.shinchosha.co.jp/geishin/backnumber/20170825/

*10:https://twitter.com/noieu/status/902448915894550528

*11:例えばhttp://filmart.co.jp/wp-fa/wp-content/uploads/2017/02/kojinteki-na-harmony_resume.pdf

*12:つまりヌーベルバーグの一翼として

*13:戦前戦後のハリウッド全盛期、ブロックブッキンッグを維持していた当時のハリウッドメジャーはそれぞれ専属のアニメイテッド・カートゥーンの制作スタジオを持ち、ニュース映画と共に実写長編映画の前座として上映される短編漫画映画を作らせていた。勿論週替り

*14:勿論順番が逆なので、長編成りを果たしたディズニーを筆頭とするハリウッドのアニメイテッド・カートゥーンへの対抗運動としてアンドレマルタンはアニメーション映画運動を初めた

*15:現在でも北米ではテレビ用の商業作品は「toon」「cartoon」と呼称され「animation」とは呼ばれない筈

*16:テレビの子供向けの連続短編映画。カートゥーンとは限らず、「特撮」などのパペット・ムービーも含む事に注意!

*17:生身の人間の演技を連続撮影する

*18:puppet filmの日本語訳、つまり、動かした立体物の動きを連続撮影したものか、動かない立体物に齣撮りで動きを与えるか、を問わず、立体物によるキャラクターによる映画、という意味での

*19:animated cartoonの日本語訳としての

*20:特撮は自然に孤立したのではなく「アニメーション」というジャンル区分によって孤立させられたのだ!

*21:つまり、アニメーションの略称であるよりは「昭和三八年の鉄腕アトムから始まったとされる日本のテレビアニメ、及び同様式に基づいたアニメーション映画」という、狭いとされながら54年間で質量共に膨大な蓄積を誇る様になった商業アニメーションのいちジャンルを指す呼称で

*22:http://www.style.fm/as/05_column/gomi/gomi18.shtml

*23:誰によって?

*24:引用した芸術新潮編集部の質問状を御確認されたし

*25:http://d.hatena.ne.jp/akakiTysqe/20131219

*26:http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=12425

*27:2019年春

*28:http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=12425

*29:やがてインド洋からの英軍撤退と共に極西=スエズ運河以東へと拡大

*30:鉄道省時代に佐藤栄作の部下であり、倒産すれば自身が背任罪に問われる為に東急から倒産寸前の東映の社長として乗り込み、立て直し高収益を挙げた後に日動を買収して東映動画を設立

*31:例えば佐藤忠男・野口雄一郎「撮影所研究」東映京都撮影所の回

*32:安寿と厨子王丸の絵柄は、日本会議系の様な右派メディアで屡々使われる「下手な日本画」である。縦しんば下手でなくとも、日本という場に於いてアーリア美術・社会主義リアリズムに相当する公定芸術の様式で、森卓也佐藤忠男等が安寿と厨子王丸を「講談社の絵本」に擬えているのは、この「講談社の絵本」こそが戦前戦中を通じ幼い子供に大日本帝国全体主義に傾斜する公定ナショナリズムを「刷り込む」媒体として、戦後早くから批判されてるからである。近年では高畑勲http://www.ghibli.jp/shuppan/np/009721/

*33:東映動画労働組合虫プロ迄は私も気が付いてたが、三人の会やリミテッド・アニメーション運動という非商業迄加えた当時の趨勢まで加えて論述したのは木村智哉の諸論文である

*34:加えれば「空飛ぶゆうれい船」「どうぶつ宝島」か

*35:トランボ ハリウッドに最も嫌われた男 http://trumbo-movie.jp

*36:大島渚初め現在での錚々たる名前が並ぶ

*37:この「アニメ評論家」氏にとってはそうなのでしょう

*38:この「アニメ評論家」氏的な意味で

*39:https://animeanime.jp/article/2017/03/03/32794.html

*40:https://news.walkerplus.com/article/57539/

*41:テレビアニメの到来とともに始まった、異なるテレビまんが一本づつ数本をブローアップして劇場に掛ける興行。東映だけではなく東宝もチャンピオン祭りと題して行った

*42:ホルスってまるで総集編みたいじゃない、との感想をさる方から伺った

*43:当時の東映動画については木村智哉による研究が発表されている。東映動画東映本社には、虫プロダクション日本ヘラルドとのそれと同様の力関係があり、長編映画の制作予算は本社が製作前に割り当てた額に限られ、太陽の王子が組み込まれた68年夏のまんがパレードの興行は悪くなかった一方で、東映長編で最高興収とされる「長靴をはいた猫」は予算超過の一方で組み込まれた69年春のまんがまつりの興行成績が反映されず赤字を出し、71年春のまんがまつりに組み込まれる為に作られた「どうぶつ宝島」は予算配分の時点でこれが最後のA作であると定められた。この二作が後「あるべき漫画映画」として顕彰されたのは、作品内容だけではない

*44:http://www.style.fm/as/05_column/gomi/gomi42.shtml

*45:ズイヨーに移らさせられた森康二とか…

*46:今度は逆にその批判が新しいクリシェなのではと危惧される程に

*47:泉信行id:izuminohttps://twitter.com/izumino/status/930081662595039232

*48:抑、吉本せいについては山崎豊子『花のれん』、昭和59年下半期の朝ドラ「心はいつもラムネ色」等で取り挙げられている

*49:全貌展の公式HPhttp://www.ntv.co.jp/mangaeiga/では「作家」と表記。アニドウHPのレポートhttp://www.anido.com/report/606では「クリエーター」と表記

*50:管見の範囲では、奥山玲子や太田朱美や、おそらくは中村和子とも全く異なる生い立ちである

*51:テレビアニメまで含めたアニメイテッド・カートゥーンという意味で

*52:弟子である大塚康生の証言初め、研究的なインタビュー・エッセイはある。大工原章に源のひとつを持つ「決めの演技」は範例となり省セル時代に入って寧ろ主流化した

*53:ベラドンナに言及する数少ない制作者である幾原邦彦庵野秀明新房昭之細田守の共通の「師」である事を想起せよ。狼男と媾い間の子を生む女が魔女で無くて一体何だ?

*54:宮粼駿だけは大塚・高畑等と違い太陽の王子のモチーフを引き摺る面が在った。この、宮粼駿とアニメブーム興隆期の作品との共通点こそ、宮粼がアニメブームの果実を手にした大きな要因である

*55:管見の範囲ですが

*56:別項に譲るが、おかだえみこ森卓也渡辺泰といったパイオニア、富沢洋子並木孝といった1970年代にアニドウの運営実務を担った人々、そして叶精二という、同じ漫画映画称賛者の系列とされる人々の、主として世代に基づく差異を問題化したい。

*57:イデオローグ曰、「萌え豚に歴史が在りますか。」と。!

*58:前掲の、公定日本芸術としての「安寿と厨子王丸」について述べた注を参照せよ

*59:「中原芽衣」という、「安寿と厨子王丸」は素晴らしい作品だと繰り返し安寿と厨子王丸を否定する奴はサヨクだから駄目だと触れ回る人物がいる。この人物はまた「宮崎駿学習院政経学部だから」「高畑勲は東大の仏文だから」素晴らしいと繰り返しているhttp://twitter.com/nakaharamei/status/720119239621898242

*60:http://hikawa.cocolog-nifty.com/data/2017/10/40-bae7.html

*61:http://www.manabi.pref.fukui.jp/manabi/koza_gyoji/24381.html

*62:https://twitter.com/Ryu_Hikawa/status/933307709004197888