急ぎ過ぎではないか「原口正宏アニメ講義」

第110回アニメスタイルイベント「原口正宏アニメ講義vol.10 TVアニメ50年史を語る 永井豪アニメの時代と業界の再編成」視聴致しました。「第10回となる今回は最初にスポ根アニメの総括をしつつ、新たに登場する『旧ルパン』『海のトリトン』『科学忍者隊ガッチャマン』『マジンガーZ』といったエポックな作品に触れ、それらが後のアニメブームにつながる流れなどを解説する予定です。」との事でしたが、実際の放送は東映動画のテレビまんがが昭和四十七(1972)年のスタジオ封鎖を伴う争議で混乱しつつ次代への布石を打っていた事で大部分を費やし、最後に昭和四十八(1973)年の虫プロ倒産でスタッフが何処に行ったかを述べて、放送は終わりました。作品について語ったのは東映動画のものだけでした。

で、この後がいきなり「原口正宏アニメ講義 vol.11 『アルプスの少女ハイジ』がアニメ史に残したもの」へと飛んでしまう。

筆者は近年Dlifeで放送された旧「エースをねらえ!」を観て、驚嘆しました。表現手法は「哀しみのベラドンナ」のものを原作とテレビまんがの制作事情に合わせ非常に簡略化したもので、後年の例えば新房昭之「物語」シリーズに至る表現様式ですが、「ハイジ」より遥かに手を抜いた表現手法であるにも係らず、「ハイジ」に負けないくらい人を引き込む力が、そして引き込まれるに足る内容がある。

遡れば虫プロは長猫と同じ年にアニメラマ二部作の前編「千夜一夜物語」でその年の興行収入二位になった。ベラドンナについてもアニメラマ二部作についても拙blogの過去記事で中途半端ながら触れましたが、此等虫プロの子供ではなく若者層を観客として目指した「漫画映画」の試みが同時代のテレビまんがに呼応されていない筈がない。アニメラマであれば「ルパン三世」ですし、ベラドンナなら「エースをねらえ!」です。他に的確な例を挙げられるでしょう。そういった試みを一切すっ飛ばして、事実上「新東映*1の動向だけで終えてしまい、その後いきなり「旧東映*2の精華とされる「アルプスの少女ハイジ」。

宮粼駿の講演「ある仕上げ検査の女性」にあるように、「アルプスの少女ハイジ」は宮粼等自身も含めたメインスタッフの献身的な労働量によって初めて成り立った作品です。それをそれに至るテレビまんがの検証をせず「あるべきアニメ」としてしまっていいのか。旧エースの様な出崎統の方法論こそ作品として優れたテレビまんがを持続して作る方法として正しいのではないか。「ハイジ」は「鉄の檻」*3だ、というのは一面の真理*4ではないでしょうか。

「ルパンやバカボンについては非公開の第二部でやったから」は無しですよ、それらを取り上げろという話では無いのですから。私は虫プロのアニメーション映画での試みと呼応した「子供ではない観客」への模索、という観点から1970年代初めの「ハイジ直前」のテレビまんがを検証しては、と提案します。歴史の流れは一様ではない。「ぼくら」が生まれていなかったり幼児だったりした頃、アニメブーム以前のテレビまんがの時代を十分に詳しくやらず、誂えられた結論だけを提示されるのは間違ってます。この一連の講義は「事実としてのテレビまんが」→「事実としてのアニメブーム」について知るためのものである筈です。

「ビランジ」*5に、アニメが生まれた夏『日本アニメーション映画史』を上梓した渡辺泰が、戦後の劇場アニメ公開史を編年で書いていました。が、その連載を昭和四十六(1971)年で終えてしまう。哀しみのベラドンナを黙殺するのみならず、東映動画の争議にも触れずに、逃げてしまう。この衰弱は渡辺氏の加齢だけではありません。
例えばこんなのはどうでしょうか。
原口正宏アニメ講義 vol.11 出崎統の登場、ヤングアダルト層への模索、虫プロ倒産」
準備を考えれば今から変更出来ないのかもしれませんが、以上意見具申します。

*1:漫画映画を切り捨てテレビまんがの制作に特化しようとする/そしてする、会社としての東映動画

*2:漫画映画の東映動画でフルアニメーション技術を学んだが会社のテレビまんが優先により離れた、とされている人々。Aプロダクション→スタジオジブリの系譜が典型とされる

*3:ウェーバープロテスタントの倫理と資本主義の精神」から

*4:例えば『ミッキーマウスストライキ!--アメリカアニメ労働運動100年史』訳者解説「アニメーションという原罪"Drawing the Line"を訳しながら考えたこと」http://www.godo-shuppan.co.jp/img/kokai/kaisetsu_kokai.pdf、592p

*5:http://www8.plala.or.jp/otakeuch/contents-biran.html