魔法少女例会とまどかマギカ大討論会への質疑用レジュメ

本稿は9月7日のコンテンツ文化史学会 - コンテンツ文化史学会2013年第2回例会「テレビ文化の歴史と表象としての少女-「魔法少女」をめぐって-」のお知らせ(参加登録開始)、及び8日のまどか☆マギカ 大討論会 - あいち国際女性映画祭への質疑用レジュメとして用意した物で、何方の会にも参加出来ませんでしたが後学の為挙げます。9月11日及び11月01日加筆。

私が「哀しみのベラドンナ」を観たのは(2008年だと記憶していたが、記録では)2006年暮れのポレポレ東中野です。秋に唐沢俊一ロフトプラスワンで紹介しているイベントを観て知り、アニメの門のある日にアニメラマ二部作と纏めて観ました。藤津亮太氏に(06年なら色々あったにも関らず)これが今年最大の事件だと口走りました。

二度目に観たのは2011年の2月から3月にかけてです、辛い話なので見返したくなかったのですが、さやかと杏子の物語を観「魔法少女まどか☆マギカ」を考えるため意を決してDVDで再見しました。

最初に観た時思ったのは内容より寧ろこの作品を今まで知らされなかった事への怒りでした。長井勝一が『ガロ編集長』で「(カムイ伝の物語の歩みとは裏腹に)現実の方の闘争では、集団を組みながらでもその中での個人のあり方を絶えず問題にしていく方向がはっきり出てきた(単行本版210p)」と記しており、集団制作される商業アニメーションでは「カムイ伝」に対応する作品は在り得ても、(つげ義春岡田史子が代表する)ガロ・COM系と云われるものに対応する文芸系の作品はアニメブーム以前の昭和四十年代当時には在り得ないのだ、と思っていましたが、あるのに黙殺されていたのです。特にまどかへの参照としてベラドンナへの言及は皆無に等しい、管見の範囲では、アニメルカvol.4で石岡良治が「奥さまは魔女」はルネ・クレールによる映画版が先にあり其処ではセイラム魔女裁判が参照されている事を紹介し、全ての魔法少女潜在的に迫害の対象としての魔女である事を示唆したのが、唯一です。ユリイカ編集部はこの記事を読んでいる筈にも関らず、同誌のまどか増刊では誰もベラドンナに言及していない(同号の石岡記事はその役割ではない)。夜想bis+の新房昭之インタビューで、ときめきトゥナイトのエンディングが杉井ギザブローによると言及されてもベラドンナは言及されない。ラマール『アニメ・マシーン』−将にアニメートされない(動かない)図像の連なりを撮影や編集で「動かす」映像手法の意義が語られているにも関らず−でも言及されていないが、「本書では宮崎駿スタジオジブリ庵野秀明GAINAXCLAMPのマンガとアニメ、この三つの系統に焦点を当てた」と述べているので情状の余地があろう。寧ろ須川亜紀子『少女と魔法』が、魔女とその西洋や日本での表象の概説に二項分を割きクレール版奥様は魔女にも言及しているにも関らず、ベラドンナに言及していない事を責めるべきでしょう。

アニメ以前の歴史の御浚いをしましょう。戦争前日本の漫画映画は小さな工房で教育市場向けに制約された内容を乏しい予算で細々と作っていました。が戦争に乗じて始まった統制と国策化、具体的には映画法で劇場に義務付けられた文化映画の上映枠という新しい市場に向け分業を始めとする産業化が進められ、「海の神兵」の様に国策映画としての内容面では当時の典型だが、この時期のアニメーション映画としてはリアリズム表現に傾斜した特異な作品をも産み出しましたが、敗戦後制作者達は再び貧しい市場の中に放り出されました。東宝争議に伴った再編成で東宝の教育映画部門は切り離され縮小し取引が滞って政岡憲三が「食えなくな」りそして瀬尾光世の長編「王様のしっぽ」の配給を東宝が拒否、その理由が社長米本卯吉による「赤がかっている」という、イデオロギーを理由にしたものであることは特記さるべきで、戦中に日本漫画映画の一つの頂きを創った両名は動画制作の場から去らざるを得なくなります。「最早戦後では無」くなった昭和三十年代に入り、大川博のお迎えが来て大資本の庇護の元での制作となりましたが、当初動画スタジオに企画の決定権は無く、必ずしもアニメーションが判っているとは云えない東映本社から天下る、ブロックブッキングによる長編二本立ての興行に組み込む為の企画を、唯々諾々と受け入れるしかありませんでした。その最悪事例が昭和三十六年の「安寿と厨子王丸」です。

五味洋子さんが大学図書館での出会いを回想しているように、1974年に廃刊した雑誌「映画評論」は佐藤忠男編集長時代から『Fan&Fancy Free』同人の渡辺泰森卓也おかだえみこ等アニメーションの評者を起用したことでアニメを語る言葉の歴史においても重要な媒体です。同誌の昭和三十年代半ばにおける目玉連載に当時産業としての繁栄の頂点にあった大手映画会社等それぞれの制作の現場を経済学者野口雄一郎と共に取材分析する「撮影所研究」があったが、それを予期してか最後に回されたと思われる、東映動画を取り上げた回で他のスタジオでは受けなかった強硬な抗議を受け、連載を終えると共に佐藤忠男は編集長を辞任している。この撮影所研究−森卓也の手塚「西遊記」評内での「安寿」へのコメント共々カタログハウスから出た『「映画評論」の時代』に採録されている−、そして『作画汗まみれ』に採録された社内での批評会や「安寿」を機に東映から虫プロに移った杉井ギザブローの回想、等を見ても、押し着せられた企画でありその体制迎合な主題とライブアクションからの引き写しなど非創造なリアリズムによって現場の憤懣の中心となっている事が撮影所研究で取り上げられた「安寿と厨子王丸」こそが「海の神兵」よりずっと、ジャパニメーションの負の起点です。安寿と厨子王丸のような動画はもう二度と作るまいという悔恨共同体が生まれ、そのための方法としてふたつの動きが生まれた。ひとつは労働組合によって職制を超えた人と人との繋がりを作り出し東映動画の制作現場を内側から作り替えていくこと。もうひとつは東映動画の外に理想のアニメーションを作り得る製作の場を作り上げること。後者を選んだ人々が「印刷漫画の限界を極め」安寿の前作『西遊記』で創造的な仕事をした手塚治虫の元に集ったのは云うまでもない。このふたつの運動は、72年の東映動画のスタジオ封鎖を伴う大量解雇とそれに先立った組合主要メンバーの退社、73年の虫プロ倒産によって何方も一旦は潰えますが、今日我々が知るそれぞれの達成点として「太陽の王子ホルスの大冒険」と「哀しみのベラドンナ」があります。

御浚いをしたのは、此等アニメ以前の作品で女性をどのように描いたか、中でもそのあり方自体に強い劇(葛藤)を孕む「迫害の対象としての魔女をこそ「人間」として描く」事を、どのように行ったかが、「アニメ」の成立に深く関わっているからです。東映が「白蛇伝」を製作する際、岡部一彦等大人漫画家組と旧日動のアニメーター組を競わせました。後者の大工原章森康二白蛇伝の二人の原画家ですが、白娘を委ねられ描いたのは専ら大工原章です。大塚康生インタビューに拠れば(自然主義に基く演技の森とは反対に)動きの要所で手の表情を大事にする、見得を切るポーズを「決め」る演技(それは非常に限られた動画枚数での劇画の映像化に定位した「テレビまんが」の演技の範例になったとも云い得る)が特徴のアニメートをする人ですが、後年東映本社に依頼され「トラック野郎」の公式の似顔絵を描く優れたカートゥニストでもあり、この人の描く女性を「色っぽい」と感じヒロインを委ねた当時の製作者の判断は、「千夜一夜物語」にやなせたかしクレオパトラ」に小島功といった大人漫画家を起用したアニメラマ二部作、そして千夜一夜に踵を接して企画された「ルパン三世」の峰不二子といった「大人(当時の青年である団塊世代も含め)向け」の作品群と同じ感受性の地平にあります。始期の試行錯誤を過ぎ「子供向け(秩序回復)」に定位した東映長編で「少年猿飛佐助」の夜叉姫「少年ジャックと魔法使い」のグレンデルと云った「倒されるべき悪い魔女」を艶容に描き、(森が招聘された「太陽の王子」組の裏で)会社の指示通り「プレハブの建物」を作る責任者にされる事でアニメーターとしての経歴を終えました。弟子の大塚康生は勿論、大塚を介しての孫弟子である木村圭三郎も「タイガーマスク」を残しましたが、大工原自身は漫画映画→テレビまんが→アニメという変遷の中で忘れ去られてしまったのです。

森遊机「実は私、森康二さんが描かれる女性がもうひとつ掴み切れないんです。同じ森さんの絵でも、愛らしい童女や動物ほどには。いや、キャラクターの性格というよりも、絵柄として、すんなり入り込めないといいますか…(略」
大塚康生「略)森さんが描かれるキャラクターはスタティック(静的)というか、止めっぽいというか、あんまり生きた漢字がしないですね。偶像のようで」
森「美形で、目がガラスのように静かで、透明感があって」
大塚「高畑さんはそこが好きだと言うけど、僕は何か死んでるなという感じがちょっとありますね。」
大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽』48p~49p

安寿と厨子王丸」を「なんと情けない動画を作ってしまったものか」と嘆くアニメーター達と裏腹に、高畑勲はああいうリアリズムをやってみる意義は大きかったと肯定的に評価している。勿論主題に対してでは無い。ライブアクションではなくアニメーターの観察によって演技を設計し、そしてお仕着せではなく、制作現場を内側から良くしていこうとする人々から内発する心情を、主題として組み上げていけば、リアリズムに基いた「目指すべき漫画映画」が出来る。高畑勲がホルスそしてハイジで確立させた方法論、ジブリを筆頭に他の例を挙げればぴえろ魔法少女京アニなどに代表される、アニメのリアリズムの「制度」(「おもひでぽろぽろ」以降の高畑勲の軌跡は、この「火垂るの墓」で一つの頂点を極めた「制度としての高畑勲」を乗り越える試みとして観ることが出来る)は、その起源を辿れば安寿と厨子王丸を換骨奪胎したものではないか?

「太陽の王子」はアニメーターが自身で主導権を持 って描き演出家はそれらを調整するという「漫画映画」のやり方ではなく、スタッフから募ったアイデアは演出家の元で一貫した物語計画に纏められそうでないものは採用しない、その主題は「守るに値する「村」」(『「ホルス」の映像表現』112p)を描くことで、映像の諸要素はその物語計画に動員される。そしてその諸要素の内最も重要なそれは、物語の大団円で「英雄」ホルスと共に村人の一人となる、最も強い葛藤(劇)を自身に孕んでいる「悪魔の妹」ヒルダに他ならない。そのヒルダを森康二に委ねるという高畑勲の選択は、「どのような女性像を「色っぽい」と感じるか」という当時の「大人」の予期される感受性−当時の青年である団塊世代森遊机等その下の世代も含め−とはっきり異なったものです。

白蛇伝の白娘には森康二が描いたパートもあり、大工原章が描いた白娘よりそちらのほうが少女らしくて素敵だ、とホルス以降の世代の観客には言われるそうです。我々は萌えと呼ばれる感受性に触れる表現の系譜の起源の一つとして「こねこのらくがき」を想起しますがそれはヒルダから遡ってそう感じるのではないでしょうか。そしてその転換は高畑勲が「守るに値する「村」」を描く為の物語計画としてヒルダを森康二に委ねた事から始まるのです。ヒルダこそが最初の萌えキャラ、と云うより、「萌え」の範例を創りだしたキャラクターなのです。70年代のアニメブーム興隆期には「ヒルダファンクラブ」が活動し現在高名な人々が集っていました。

山本暎一杉井ギサブローは「哀しみのベラドンナ」の描き手としてアニメーターでは無いイラストレーターの深井国を選びました。アニメートされない(動かない)図像の連なりを、テレビまんがで培った「省セル」技法を活かせば撮影や編集で「動かせ」る、と考え、白蛇伝の時点では失敗した漫画家・イラストレーターによる長編アニメーションに挑戦したのです。後年ミシェル・オスロは「キリクと魔女」でベラドンナに応答しますが、受け手の側から見た場合、ベルナール・ビュフェの影響を受けたという深井のイラストレーションを起用する杉井・山本の判断は、70年台の所謂「黄金時代」の少女マンガの「西欧純文学」を志向したものと同じ感受性の地平にあります。後年アメリカン・コミックスの女性作家Barry Lyga,Colleen doranは自作『MANGAMAN』で同時代の日本では前時代のものとされややもすれば揶揄の対象となるこの系統の少女マンガを引用しましたが、新書館ペーパームーン」に典型的に見られるように、「黄金時代」の「西欧純文学」系少女漫画の読者−作者は、西洋美術から同時代の対抗文化までを包摂した教養を、自身のものとして強く志向していたのです。

最後に「安寿と厨子王丸」に戻りましょう。「ホルス」「ハイジ」での高畑勲の方法論(≒制度としての高畑勲)は、天下ってきたお仕着せの企画を非創造なリアリズムで映像化した「安寿」で培われたリアリズム表現の技術を、実際に作る者達の間の内から発する心情と志向によって組み替えるものである、と仮定しました。「アルプスの少女ハイジ」を提案した高橋茂人に対し、高畑勲は「子どもを教化・善導しようとする十九世紀の児童文学では無く、二十世紀以降の子どもの心を解放しようとする現代児童文学、特にファンタジー性の強い作品こそ採り上げるべきではないか」と提案しました。ディズニーであれ往時の東映長編であれ、嘗ての多くの時間と人件費を費す長編アニメーションの興行では多くの観客に知られた−観客に評価の定まった題材であることが求められ、当時それは児童文学などの古典でした。世界名作劇場に代表される”名作物”という企画は、往時の劇場で上演される長編漫画映画の商業主義の典型であったこのジャンルを、当代のテレビで放映されるアウラとして企業イメージを上げたいスポンサーに売り込むというものです。但し高橋茂人はそのアウラを本気で信じ、それを作り出すために東映を追われた「太陽の王子」組を集め、委ねたのですが、高畑等実際に作る側から見ればそれは安寿と厨子王丸と同じ「十九世紀の教訓的な児童文学」を原作にしなければいけない、という制約で、作る側に内発的な心情とそれを作品として組み上げる力量が無ければ、世界名作劇場を始めとする名作物はとりわけ容易に安寿と厨子王丸の再販になる。「フランダースの犬」がそうです。高畑は「ドラえもん」のシノプシスを書きつつ、日本アニメーションの在籍していた80年春に高橋に述べたのと同趣旨の意見書(『映画を作りながら考えたこと』所収)を局・代理店に提出しましたが、結局自身がテレコムに移り「じゃりン子チエ」「リトルニモ」を映画化する/しようとするとともに「ナウシカ」「ラピュタ」で盟友宮崎駿をプロデューサーとして支える事でこの隘路を乗り切りましたが、勿論安寿と厨子王丸化が無くなった訳で無く、「宮崎アニメ(風の作品)」「スタジオジブリ」といったブランドの中から再販安寿と厨子王丸が出て来るのです(元々本稿は、2011年に於ける対照的な出来事、「魔法少女まどか☆マギカ」の達成と、「コクリコ坂から」を始めとする「にせ宮崎アニメ」が何本もそれも山本寛新海誠の様な次代を担うとされる監督たちによって一斉に作られるという悲惨を併せて考察する、というものでした)。

魔法少女まどか☆マギカ」への最も優れた評の一つとして、小島アジコの奥様の801ちゃんは「まどか」の魔女達が皆契約して魔法少女になった少女達の成れの果てであること、その個々の彼女達に一番惹かれる、と呟いています。魔女の来歴を案出したのは劇団イヌカレーであり虚淵玄ではありません。「特撮」を中心とした実写を参照項にしているエヴァンゲリオンと違いまどかはより「アニメーション」の系譜から観られなけなければならないのに虚淵ャーについての話ばかりが流れる、その事が劇場版が残念な出来(そうはっきり云いましょう)になってしまったことにも繋がっています。五話でさやかが追いかける落書きの使い魔は大工原章が描いた「こねこのらくがき」の落書きだし、そして此処で登場する佐倉杏子は「雪の女王」の山賊の娘です。呉智英『大衆食堂の人々』所収のエッセイに、山賊の娘とヒロイン・ゲルダとの関係に萌えていたが成長し絵本を見返したら不細工だったので一気に冷めたという下りがある、まぁこれは笑い落ちですが、彼女のゲルダへの執着が同性愛であるとの解釈は多く為されており(藤田貴美による漫画化。杏さやについては杏さや(まどマギ):百合カプ 大全 - ブロマガで「杏子の慰め方が女友達じゃなくて完全にイケメンレズなんだよね」との指摘)、アンデルセン繋がりでもあるので。暁美ほむらは勿論ヒルダだし、巴マミクリィミーマミゴスロリver.、そして美樹さやかはそう名付けられているように悲惨な運命を辿る永井豪作品のヒロイン。まぁ後のふたつはフィギュアと紙のマンガですが、この程度の指摘も挙がらないのは絶対おかしいよ。

本稿執筆に際し多くの先人の記事を参照しました。その中から特に、月刊OUT84年01月号掲載の霜月たかなか原田央男)の高畑勲『「ホルス」の映像表現』に基く論考と、若き歴史学者木村智哉による研究を挙げます。
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CiNii Articles 著者検索 - 木村 智哉
革新と拡散 : 日本におけるアニメーションの変容に関する文化思想史的考察 ([木村智哉]): 2011|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
博士学位論文内容の要旨及び審査の結果の要旨 平成23年9月28日付け授与分pdfのp.109-113に木村智哉の博士論文「革新と拡散 : 日本におけるアニメーションの変容に関する文化思想史的考察」の内容及び審査の要旨が掲載)