ある「アニメーション史家」の「不誠実」

ユリイカ2013年8月増刊号「やなせたかし アンパンマンの心」*1掲載の津堅信之id:tsugata執筆の記事*2の内容には明らかにおかしな所がある。津堅はやなせが関わったアニメラマ二部作の「千夜一夜物語」を紹介する際

「(「千夜一夜」で言われる、性描写を含む「大人向け」とは、1980年代半ば以降のオリジナルビデオアニメとして数多くリリースされたロリコン系の成人向けアニメとは全く異なり」「そのこと(アニメブーム以降の思春期・青年に向けられた作品群)と、『千夜一夜物語』に始まる「アニメラマ」とは、直接の関係はない(略)広い意味での大人向けの娯楽、別の言い方をすれば中高年向けの娯楽としてのアニメは未開拓のままであり、その意味でアニメラマは、日本のアニメ史からみて孤立した作品群なのである」
とし
「(やなせと手塚の)最初の共同制作が「妖艶な成人向け」長編アニメになったのだから、手塚にもっと長生きしてもらっていれば「正真正銘、正統派の子ども向け」長編アニメが、共同制作として誕生していたのではないか。深夜放映の、視聴者を選ぶ作品が激増してしまった昨今、そんなことを夢想せずにはいられない」
等と、書いているのだ。

ルパン三世』のパイロットフィルムが完成したのが1969年5月13日*3、『千夜一夜物語』公開が同年6月14日という日付を挙げるだけでこの津堅の記述への反証になる。現に氷川竜介は同人誌*4掲載のアニメ映画小史で、この時期(昭和四十年代)から勃々出て来るようになった「大人・青年向け」を謳った商業アニメーションの代表としてアニメラマ二部作と『ルパン三世』、『哀しみのベラドンナ』を併記している。昭和四十年代の青年とは団塊世代前後だから、今日「中高年向け」に見える文化が当時は「若者文化」とされている事がしばしばあり、「アニメファン」がマスとして存在する、テレビまんがを観て育った世代からは、それが得てして御仕着せと感じられる。その意味で子供向けのテレビまんが(及び漫画映画)から成長した「思春期向け」の作品群がアニメファンにとっての中心となるのは必然。

同じ観客層をほぼ同じ時期に狙ったアニメラマ二部作とルパン三世の明暗の理由を考察すると、前者の(手塚治虫が好む)メタモルフォーゼなどの、画面に映るものが「動く絵」であることを強調する表現の指向が、「リアル」を求める(表象するものがされるものに対し透明に見えることを求める)当時のアニメファンの志向に合わなかったからでは。筆者は別稿で『哀しみのベラドンナ』を東映長編の『太陽の王子ホルスの大冒険』と対比させたが、短期間で制作され表現の水準で同時代のテレビまんがを大きく超えるわけではないアニメラマ二部作は、対比の対手を東映長編の中でも『長靴をはいた猫』『どうぶつ宝島』ではなく、『太陽の王子』の裏で大工原章が率いて作られた『少年ジャックと魔法使い』などにする他ない*5大塚康生の指摘は一面正しい…。そう云った考察を、津堅は事実に反することを書いて、排除している。

津堅は「中高年向けの娯楽としてのアニメは未開拓のまま」と述べる。昭和五十年代のアニメブーム期に「いしいひさいち以降*6」の現代四コマ漫画を原作にしたアニメ映画が幾つも作られているのだが。演出を務めたのは『ルパン三世』のパイロットフィルムを作画した*7芝山努小林治で、低水準の作品ではない筈。平成の再アニメブームに入ってからは今敏湯浅政明。そして『じゃりン子チエ』以降の高畑勲*8。全体から見て少数であっても「広い意味での大人向けの娯楽、別の言い方をすれば中高年向けの娯楽としてのアニメ」を目指し作品として成功した事例が幾つも、興行で成功した事例もあるのに、津堅は事実に反することを書いて恥じない。

筆者は、「アニメ」を特殊で閉ざされたものとした上で高畑勲宮崎駿作品やその系譜に繋がる作品群「だけ」が開かれた外部に繋がるものだとするイデオロギーを、「漫画映画史観」*9命名しました。ただ言い訳めきますが、叶精二の様に確信を持って自覚して漫画映画史観に基づいている論者には敬意を払っているつもりです。唾棄しているのは漫画映画史観の枠組みを使ってアニメを貶めているくせに、そうではないとする手合です。

『週刊SPA!』1997年4月30日&5月7日合併号で東浩紀は、コミケOVA市場がオタク向けと子供向けに分化するが此等は等し並に特殊で閉じられたものだという図面を示した*10 *11小川びいがその間違いを指摘すると*12「僕自身はセーラームーンおジャ魔女のようなメガヒットにしてもオタク的な感性に支えられていると発言しているつもり」と弁解しその口で「新聞レベルでの紹介をするときの必然的な表現でこの作品にオタクがどんな思いを込めていたかとは無関係(中略)僕はそこではただ一般常識を繰り返したにすぎない」、だから「セーラームーン」は子供向けメガヒット路線と「のみ」記述し、オタクやエヴァンゲリオンにとってどうであったかは(それを書く紙幅が十分に有っても)触れない。知ってか知らずか津堅はこのような東の振る舞いを擁護しており*13、アニメを閉ざされたものとする図式を維持した上で「開かれた」「メジャー」なものの中に宮崎・高畑だけではなく押井を/大友を/庵野エヴァンゲリオン)を/或は他の何かを加えれば免れているとする。

「本当はバカにしているくせに上澄みだけ掬い取る(永山薫id:pecorin911)」*14

アニメラマ二部作、そして哀しみのベラドンナを孤立させているのは、嘘をついてまで「孤立している」と人事のように述べる津堅信之自身では?

*1:http://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791702589

*2:「神様」と「毛虫」のコラボレーション 手塚アニメ『千夜一夜物語』と、やなせたかし

*3:大塚康生『作画汗まみれ』文春文庫版181p

*4:ロトさんの本30 アニメ映画の当たり年 2012年をリアルタイムで語る

*5:だから「アニメラマ三部作」などと無造作に一緒にすること自体が『哀しみのベラドンナ』という映画を貶める為の戦術である。流石に津堅はそれをあからさまにはやってないが

*6:厳密には植田まさし以降

*7:宮崎駿と同期で東映動画に入社したが正社員の宮崎と違い契約社員だった為か早くに楠田大吉郎率いるAプロダクションに移りテレビまんがに転じた

*8:アニメラマルパン三世ベラドンナの全てでアニメートした杉井ギサブローは昭和六十二年に『源氏物語』を公開。筆者は未見だがどのような映画なのだろうか

*9:津堅やトマス・ラマールも取り挙げている2004年に開催された企画展「日本漫画映画の全貌 −その誕生から「千と千尋の神隠し」、そして…。−」http://www.ntv.co.jp/mangaeiga/から命名

*10:http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/reds_akaki/20120622/20120622132501_original.jpg

*11:http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/reds_akaki/20120622/20120622133810_original.jpg

*12:http://www.st.rim.or.jp/~nmisaki/topics/btoazuma.html

*13:http://d.hatena.ne.jp/tsugata/20081113/1226578800

*14:『Sexyコミック大全』後『網状言論F改